〜夢をあきらめない〜 じんけんセミナー栗東 2024/12/03



さきら


栗東市のじんけんセミナーはいつもなかなか興味深いテーマだ


19時開演


これは水着?


「ありがとう」を手話で


市長もいっしょに


手話で


「ありがとう」



本日は、石黒由美子さんの講演
(写真撮影は自由とのこと)

石黒由美子さんのプロフィールをウィキペディアより
 7歳(小学校2年生)の頃、当時通っていたバレエ教室からの帰りに母親が迎えに来て停車中、暴走車に激突される交通事故に遭う。衝撃で粉砕した車のフロントガラスが顔中に突き刺さり、顔だけで540針・口内でも260針を縫う大怪我を負った。しかも失明こそ免れたものの、両目の視野も狭小化し、聴力も戻らなかった上、事故前の記憶を失って言語障害を起こし、数字の大小すら分からぬ脳機能障害まで負った事で『普通学級に戻るのは難しいかもしれません』と担当医から告げられたほどだった。
 そんな入院中に観たテレビに感化され、退院後に名古屋市のシンクロクラブ「ザ・クラブピア88」に入門した。ただ三半規管にも残るダメージの影響で真っ直ぐ泳げず、完全に閉じない右目は真っ赤に腫れ、左右で50〜60°程度の狭視野により首を余計に動かさねばならず、音楽をかけた練習でも曲を聞き取れずに振り付けが遅れるなど、多くのハンデを負っていた。



登場前のスクリーン映像

講演の要旨
 石黒由美子さんは幼少期にものすごい災難に遭うが、母親や弟妹ら家族に支えられながら奇跡の回復、夢をかなえて北京オリンピックのアーティスティックスイミング(昔のシンクロナイズドスイミング)の選手として出場、今は大学で教育関連の研究をされているまでの驚きの逸話。


石黒さんの


登場です

講演の内容
 強烈な災難は、小学2年生(7歳)の秋に、交通事故(フロントガラスが割れて顔面に突き刺さる)に巻き込まれ、全身骨折、顔面粉砕骨折、脳挫傷、神経断裂、顔、口を800針も縫って、失明の危機、聴覚を失う危機、しかも脳が揺れたので、事故前の記憶は全部消失。


 親は娘の顔の肉片を集め、病院を探し回り、何度も転院。あまりの惨状にどこの病院も受け付けてくれず、愛知医科大学で7時間の手術、「網膜剥離の手術をして目だけでも見えるようにして欲しい」と頼むも手術は難しいと断られたり・・・
 顔の筋肉もズタズタになったので、表情筋を上手く使えずに笑うことも無理になるかもと。




入院中の多くのエピソード


想像を絶する治療、リハビリ


母親の献身的な看病と見守り


奇跡とも言える治療中の多くが語られる。


 視力と聴力は少し回復してきた。
 そして、治療入院中にテレビで見たシンクロの映像で、「私はこれやりたい!」と憧れ、信じられない回復力とものすごいリハビリを行なって、退院。
 念願の水泳教室に通うことに。しかし、三半規管もおかしくなってたから、真っ直ぐに泳ぐこともできない。


 顔に大きな傷跡(のちほど眉間から大きなガラス片が出てきたことも)もあるから、同級生たちに「フランケン」というあだ名をつけられる。
 言語障害があったので、咄嗟に言い返すこともできず、また学習障害も出て、先生の書く字は蝶々がひらひらしてるようにしか見えない。


 それでも、「オリンピックに出たい」と言っていた。
 12歳の時に母親に「オリンピックオリンピックと言ってるけど、いつのオリンピックに出るの?」と聞かれて、そう言えばオリンピックに出るにはどうすればいいのか知らないなと気づく。


 そこでオリンピックの予定を調べて、
 「20歳の時にアテネがある。じゃあ、そのオリンピックに出るためには?」とインターネットのない時代、水泳連盟に電話で聞いて、19歳の時に日本のトップ9に入っていなければならない、18歳の時に日本のトップ30に入っていかなければならない…と逆算して・・・


まずはまっすぐ泳ぐところから…。


 さらに大学にも行きたい、と猛勉強して大学へ、そしてものすごい努力で強化選手にまで上り詰め、アテネオリンピック選手の上位9人が選ばれる中、えー?、10番目で落選!


 ショックでそこから鬱になり、水泳から離れて拒食症になり1年半、その時は真っ暗な期間。
 それまで見守っていてくれた母親の「由美ちゃんならできる!」という言葉で、やっと戻ってきて、また脅威の努力をして、ついに次の大会の北京オリンピックの選手に選ばれる。




シンクロの衣装は一般に専門家に頼むが・・・


なんと母親が学習して・・・


一生懸命作ってくれたという


弟、妹と




 父親は既に家を出ており、弟妹には身体障害者になってしまった姉を家族でフォローしよう」と母が・・・
 今は弟は「姉が医者のおかげで助かった」と外科医に・・・
 妹は「弁護士さんにも助けてもらった」と、弁護士に・・・(事故補償で弁護士に多く世話になったのを見ていたのだろう)


スクリーン映像






質問にこたえる






手話での


ありがとう


ございました

 厳しい災難から母の愛情で試練を乗り越え、リハビリを頑張り、大きな夢をものすごい努力でかなえる、その努力に感嘆!
 遠くから望遠レンズでとらえた石黒さんの顔には事故の傷跡は見えない。幼少の事故なので新しい皮膚、骨が完全再生されたのだろう。
 人間の再生力にも驚き!


 石黒さんのものすごい努力と才能、母親の献身にリスペクト!

テレビ「アンビリーバボー」

ネット記事



---- 過去に参加したセミナー ----

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