今年は小平井5区自治会の役員が回って来て、人権委員を担当することになった。かなりの頻度で人権セミナーがあり、全部に皆出席。おかげで、部落差別問題や、人をどのように見るかなど、この歳でいろいろ勉強させられることが多い。 11月の地区懇談会がピークだが、この講演会も受講すべきひとつ。 |
講演の内容で頭に残ったところを整理する。 14年まえ、小泉総理の訪朝で、拉致被害者の一部が日本帰還を果たした衝撃的なニュースから早くも14年になる。その後、まったく進展していない。 2年前の北朝鮮側から持ちかけられたストックホルム合意による制裁緩和の効果は全く無く、やっぱり騙されたわけだ。 蓮池さんは自宅近くの浜辺で妻と一緒に散歩中、突然工作員に拉致され、妻と別々に北朝鮮へ連れて行かれる。 訳も分からぬまま、とにかく、言葉を覚え、ただこの地で生きて行くしか無いことを思い知る。工作員に監視される招待場というところで個別に離されての生活だ。後で分かったことも含め、北朝鮮側の動きがコロコロ変化するのとその原因など具体的な状況の話に聴き入る。 拉致されて1年9ヶ月後、突然、離されていた妻を連れて来て結婚式をやってやると言われ思わぬ再開に喜ぶ。やがて子供が生まれ、異郷で成長して行く子供たちに、親はなぜこの地に居るのか、子供たちに何を望むのかなど、監視されて生活する中、常に悩むことなんと24年、一度しか無い人生の重要な期間を異郷の不自由な生活を強いられたわけだ。 |
約一時間半の講演は拉致の瞬間から北朝鮮での生活、24年後に突然の小泉総理訪問、子供たちを人質として残された夫婦二人だけの日本帰国の実現など、ドラマチックだ。 そして、子供たちの残された北朝鮮へ再び戻るという妻、必ず子供たちは取り返すという蓮池さん、そして、誰も絶対戻さないという家族親戚との葛藤など。このとき当時の北朝鮮の失政の内情を日本政府がどのように利用したのか。 なんと、一年半後、子供たちも海を渡って日本にやって来たのだ。 蓮池さんは「子供たちが帰って来た日が本当の私の帰国の日、夢と希望を取り戻した日だ」と話す。 拉致事件後40年、まだ多くの拉致被害者は非常に厳しい現実の中で擦り切れている。なんとかこの問題の進捗の助けにならないかと活動して行くと講演を締めた。 蓮池さんも自分の人生が講演や執筆活動になるとは思いもしないことだったろう。 政治、外交の重要さも考えさせる一日だった。 |