「クリント・イーストウッドには映画の神が降りている」。某映画雑誌の記事タイトル。 現在78歳、ついこの間はアンジェリーナ・ジョリーにアカデミー賞主演女優賞ノミネートまでの名演技をさせた「チェンジリング」を監督したばかり。自ら映画にも出るのはアカデミー作品賞をとった「ミリオン・ダラー・ベイビー」以来。「今後は監督に専念する」と言っているとか。彼の主演作は「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」などの有名な西部劇から始まり、「ダーティーハリーシリーズ」、アカデミー賞は「許されざる者」、「ミスティック・リバー」、「ミリオンダラー・ベイビー」他が作品賞、監督賞、主演男優、主演女優賞などにかかわっている。近年は「マジソン郡の橋」あたりから「父親たちの星条旗」、「硫黄島からの手紙」が記憶に新しい。 2年間カリフォルニア州の田舎の市長もやったこともあり、その知性から、20年ほど若ければアメリカ大統領もできるのではないだろうか。今年春の叙勲で外国人として日本政府から「旭日中綬章」を褒章している。 |
今作は「グラン・トリノ」。既に次作を製作中。いったい何歳までがんばるつもりか。この頭の柔らかさには敬服。なお、ポルトガルの世界最年長の映画監督 マノエル・ド・オリヴェイラ監督(女性)は今年100歳というから、映画の監督という仕事はいかに頭を刺激するかが分かる。 |
朝鮮戦争の帰還兵ウォルトはフォード自動車では優秀な元工員。妻に先立たれ、今は一人暮らし。頑固で偏屈者の彼は、年寄り扱いする息子連中や、移民が増え治安が悪化するわが町の姿に日々、悪態をつき暮らしている。そんなある日、隣家のアジア系移民の息子タオが、同じモン族の不良にそそのかされ、ウォルトの愛車72年型グラン・トリノを盗もうとしているのを発見する。
この事件を契機に隣家とかかわりを持つようになったウォルトは、やがて人間味ある彼らの暮らしぶりを知ることになる。相変わらず民族差別的な悪態をつきながらも、父性不在の一家に代わり、タオの導師的役割をも演じるようになっていく。 |
アカデミー賞の殆どを独占した「スラムドッグ$ミリオネア」も「レッドクリフPart2」も観ているが、やっぱり、クリント・イーストウッドは欠かせない。 |
「グラン・トリノ」気骨と笑いと長い余韻が、イーストウッドの図抜けた器量を物語る 「グラン・トリノ」は7つの顔を持つのかもしれない。映画を見てかなり経ってから、私は妙な感想を抱いた。妙というより、面妖とか奇怪とか言い換えたほうがよいだろうか。 私は試写室で、終映後に力いっぱい拍手をしている人を見かけた。泣けて泣けてたまらなかったという人もいたし、くすくす笑いが止まらなかったという人もいた。俳優イーストウッドの集大成、との声は高かったし、台詞の楽しさを堪能したという感想もしばしば耳にした。B級テイストを全開させた佳作と指摘する人の隣では、「究極のスター映画」という見方も出ていたはずだ。 いま挙げた意見は、それぞれに当を得ている。大泣きしたという声を聞くと、「イーストウッド最後の出演作」という触れ込みに惑わされたのではないかといぶかしんでしまうが、情感の深さを思えば、これとて許容範囲に属するような気がする。 ご承知のとおり、話の枠は「渋茶老人の戦い」だ。朝鮮戦争に行き、フォードの工場で働き、いまは年金暮らしをしている老人が、ラオスから来たモン族の少年と出会い、風変わりな友情を温めていく。そんな平和をかき乱す集団が……というのがおおよその筋書だが、ここでイーストウッドは、映画の軸に「ブルーカラーの気骨と笑い」を据える。 この太い線が強力だ。気骨を示し、笑いのさざ波を広げる技にはさすがに年季が入っている。しかもイーストウッドは、さくっと撮られた映画の楽しみを観客に手渡しつつ、「男の肖像」をディープに彫り上げてみせる。多面体を思わせる映画の横顔と、話のサイズには不似合いなほど長い余韻が、イーストウッドの図抜けた器量を物語っている。(芝山幹郎)(eiga.com) |
2009年のつれづれぐさへ |