スティーヴン・スピルバーグの「プライベート・ライアン」では、ノルマンディー上陸作戦での最初の15分間のものすごい戦場シーンで圧倒され、テレンス・マリックの「シン・レッド・ライン」でのガダルカナル戦場での米兵に降伏する時の日本兵の悲惨さなど、実際に起こった戦争を扱った映画にカッコ良さなんて何も無い。ただ、あまりにもむごく、両軍の兵ともに深い哀悼の念を持つ。実際の戦場は映画以上にものすごい殺し合いがあっただろう。 クリントイーストウッドは「許されざる者」、「ミリオンダラー・ベイビー」の監督として二度のアカデミー賞、そして、「ミスティック・リバー」でも、アカデミー主演男優賞、助演男優賞を出す「映画の神様」的存在。76歳の今、従来の作品とは全く違うこの映画を完成させた。「ミスティック・リバー」では超有名配役陣を何人も採用したのに、この映画では、殆ど聞いたことの無い役者ばかりで、よりリアル感がある。また新しいジャンルの映画。この監督はいったいどこまで働くのだろう。 さて、今回のクリントイーストウッドの映画「父親達の星条旗」は硫黄島の日米戦実話であり、アメリカ側から見た戦時中の逸話。続いて公開される「硫黄島からの手紙」は日本側から見た硫黄島の戦いであり二部作となる。 戦闘シーンはモノクロ調でリアル感がある。1945年2月。硫黄島を守る日本側、対して追い出そうとするアメリカ側。アメリカ海軍28,686名の戦死傷者と大日本帝国陸軍20,129名の戦死者を出した激戦地となった。両軍とも、この硫黄島は戦略上重要だったわけで、絶対に負けられない一戦だった。 自分が生まれるちょうど1年前に始まり、アメリカ海兵隊が3日で攻略できると思っていたのが、1ヶ月以上も日本兵は持ちこたえたのである。 ものすごい戦闘シーンは平和で(おそらく)一生を終えることができる今の日本人には驚愕である。 いつか、硫黄島を訪ね、ここで玉砕した多くの日米兵士に花をたむけたい。それがかなわぬなら、せめてこの種の映画、書籍に触れて思いを馳せてあげるのが平和に生かされている我々の礼儀ではないかとも思った。 |
硫黄島二部作を公開するにあたって、クリントイーストウッドが手記を発表しているので、ここにコピーしておこう。 61年前、日米両軍は硫黄島で戦いました。 何万もの若い日本兵、アメリカ兵が命を落としたこの過酷な戦闘は、それ以来ずっと両国の文化の中で人々の心に訴えかけてきました。 この戦いに興味を抱いた私は、硫黄島の防衛の先頭に立った指揮官、栗林忠道中将の存在を知りました。彼は創造力、独創性、そして機知に富んだ人物でした。 私はまた、栗林中将が率いた若い兵士たち、そして、敵対するにもかかわらず両軍の若者たちに共通してみられた姿勢にもとても興味をもちました。 そしてすぐに、これをふたつのプロジェクトにしなければと悟ったのです。 私は現在、『硫黄島からの手紙』『父親達の星条旗』という、硫黄島を描いた映画を2本、監督しています。 まず、アメリカ側の視点から描く『父親達の星条旗』は、硫黄島の戦いだけでなく、帰国した兵士たち、特に、星条旗を掲げる有名な写真に写った兵士のうち、生還した3人の若者たちがあの死闘から受けた影響を追っています。 彼らは戦時公債用の資金集めのために都合よく利用されました。 戦闘そのものと、帰国後の宣伝活動の両方が彼らの心を深く傷づけたのです。 そして日本側。 若い日本兵たちは島へおくられたとき、十中八九生きては戻れないことを知っていました。 彼らの生きざまは歴史の中で描かれ、語られるにふさわしいものがあります。 私は、日本だけでなく世界中の人々に彼らがどんな人間であったかをぜひ知って欲しいのです。 『硫黄島からの手紙』では、彼らの目を通してみたあの戦いが、どんなものであったかを描ければと思っています。 昨年4月、私は硫黄島を訪れる機会を得ました。 あの戦いでは、両国の多くの母親が息子を失っています。 その場所を実際に歩いたことは、とても感動的な経験となりました。 そして今年、私は再びあの島を訪れ、2本の映画のために数シーンを撮影したのです。 私が観て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。 しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。 私の2本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。 戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きられたであろう人々に与えた影響を描いています。 どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。 だから、この2本の映画は彼らに対する私のトリビュートなのです。 日米双方の側の物語を伝えるこれらの映画を通して、両国が共有する、あの深く心に刻まれた時代を新たな視点で見ることができれば幸いです。 |