かなり遅くなり、周遊バスも残り3便。最後にどこへ行くか。バスに乗ってから運転手さんと話し、芳州庵なら16時までだが、入ってしまえば大丈夫。普段、周遊バスの無い時はタクシーでしか来られないところだから、行った方がいいよと。それなら。 |
朝鮮文化に造詣の深かった江戸時代の儒学者 雨森芳洲は朝鮮外交に尽力した江戸時代の儒学者です。寛文8(1668)年、この地に生まれた芳洲は、18歳で江戸に出て木下順庵の門に入り、儒学を学びました。その後、師の推挙で対馬藩に仕え、生涯を文教と朝鮮事情・文化の研究に費やします。特に、2度の朝鮮使節来日の際は、応接と外交の補佐に活躍したと伝えられています。 著書にも朝鮮関係のものが多く、『交隣須知(こうりんすち)』やハングル語を翻訳した『全一道人(ぜんいちどうじん)』などが知られています。 昭和59年、郷里の生家跡に「雨森芳洲庵」が建てられ、芳洲の遺品、著書、文献などが一般に公開されています。また芳洲庵は、「東アジア交流ハウス」とも呼ばれ、東アジアの各地に向けて、湖北の風土と文化を伝える拠点としても利用されています。 |
先日、NHKハイビジョンで「朝鮮通信使」の特集があり、雨森芳州という人について予備知識はあった。 滋賀県では少なくとも名前は知っているが、他県の人は、名前さえ知らなかった人は多いだろう。 韓国大統領の来日で天皇陛下への挨拶の中で日韓交流の礎になった例として、韓国通信使の対応をした雨森芳州の話が出て、これで、この近江出身の偉人が全国区になったのである。 |