先日、草津シネマハウスの閉館について述べたが、同様というかもっと大変そうなのが大津のミニシアター「シネマホール」である。ハウスとホールと名前はまぎらわしいが、こちらは大手とは張り合わず、ちょっと違う映画をかけてくれる。マイナーな映画などはありがたい。今までにも相当の回数利用させてもらった。ここも何度も運営の危機が訪れているはずでたぶん、支配人たちの映画への情熱、がんばりで持ちこたえているのではないだろうか。 |
シネマホールは滋賀会館の5階に小さいスクリーンを張っている。 最近、溝口健二、黒澤明などの邦画界の巨匠の作品をかけており、昨日と今日の2日限り、小津安二郎の「東京物語」がかけられた。 |
黒澤、溝口作品はある程度観ているのだが、意外なことに小津作品は殆どというより全く観た記憶が無い。 1953年の本作「東京物語」は小津安二郎の代表作といわれ、国際的にも多くの映画監督にも影響を与え、「日本映画の最高傑作」と評されているとのこと。 |
若いころは1階の大ホール(ここが以前は本来の映画館)でヒッチコック、ヘプバーンの大作を観に来たのを今でもはっきり覚えている。 |
<小津安二郎> 明治36年、東京市深川区万年橋に五人兄弟の次男として生まれます。小学校まで東京で育ち、その後 父の故郷 三重県松阪市に移ります。三重県立第四中学校(現在の宇治山田高校)を卒業、三重県飯南郡の尋常小学校の代用教員を務めた後、大正12年上京します。昭和3年、叔父のつてで松竹キネマ蒲田撮影所に撮影助手として入社します。昭和2年8月監督に昇進、「懺悔の刃」で初監督。戦時中は軍部の指示によりシンガポールで戦争物の映画を撮っていました。戦後は、「晩春(昭和25年)」、「麦秋(昭和26年)」、「東京物語(昭和28年)」と次々に名作を発表し、日本映画界を代表する巨匠となります。昭和33年、「東京物語」が、ロンドン映画祭で第一回サザランド杯受賞。昭和38年12月12日、60歳の誕生日に逝去。お墓は北鎌倉の円覚寺にあります。 |
出演者はそれぞれみんな後に名優となる人ばかり。 ●笠智衆(平山周吉) ●原節子(平山紀子) ●東山千栄子(平山とみ) ●山村聰(平山幸一) ●杉村春子(金子志げ) ●香川京子(平山京子) ●三宅邦子(幸一の妻の文子) ●中村伸郎(志げの夫) ●大坂志郎(周吉の三男の平山敬三) ●十朱久雄(服部) ●長岡輝子(服部の妻) ●東野英治郎(沼田三平) |
映写機の「チチチチ音」・・・・ああ、懐かしい。これが、小津安二郎のローアングル、長まわし。床にカメラを置いたように、下から仰ぐようなカメラ映像。小津は、どうしてこの構図にこだわったのだろう?。当時三脚が無かったから?。 原節子。まだご存命という。現在87歳。彼女が映画の中で、いみじくも語っている「私、歳をとらないことにしていますの」。 |