京都市立美術館でのフィラデルフィア美術館展のあとは四条高島屋での堀文子展を。 |
初期作から最新作まで多彩な日本画作品や素描、絵本や雑誌連載の原画など約130点を出展、画業を多角的にひもとく。 1918年東京市麹町区に生まれ、1940年女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科日本画部を卒業した堀文子は、在学中に新美術人協会第二回展に初入選を果たしました。女性が学問を志したり自立する自由がない時代、何人にも支配されない真の自由を求めて画家の道を志し、1952年には第二回上村松園賞を受賞。創造美術協会、新制作協会そして創画会(1974年結成)で積極的に活動しました。70歳の時にイタリアのアレッツォにアトリエを構えて制作活動をしたこともあり、1992年アレッツォ市の招聘を受けて、同市で「堀文子展」を開催して高く評価されました。 海外への旅、1999年創画会を退会など、様々な状況の中で堀の画風は、その時々をどのように生きていたかで変わっていきましたが、この世に生あるものを温かく、かつ静かに見つめるまなざしは変わることはありません。その美しさは、観る者の心をやさしく包み込み、その世界に引き込んでゆくのです。 本展では、60年以上にわたる堀の画業を振り返り、初期の作品から現在までを年代を追って展観していきます。未発表の作品とデッサンも合わせ、多くの女性に愛されつづける堀の芸術を紹介します。 |
7月に89歳になる堀文子は未だに創作意欲が薄れず、毎日が忙しくてしようがないという。会場内のビデオを見ると大磯の自宅に多くの花を育て、鳥、虫などを観察、毎日筆をとっているという。庭で蜘蛛の巣に霧吹きで水をかけてその美しさを熱く語るさまなど、目のつけどころが違う。 60歳を過ぎてから言葉も分からぬイタリアで数年、酸素ボンベを背負ってヒマラヤに登山し幻の花・ブルーポピーを描くという念願を果たすなど、人間の挑戦というか、どこまで人生を楽しむんだろうと感心。 堀文子の画風は一定しておらず、時と場合でどんな絵でも描いているという印象。日本画なのだが、描く対象はさまざま、牡丹や椿の絵 西洋画・油絵のようなエッセンスのある絵、抽象的な絵画、そして絵本の挿絵のメルヘンの世界。顕微鏡で「ミジンコ」を見て、それを画題とするなんて、誰が思いつく?。 フィラデルフィア美術館展でコテコテの油絵づくしを味わったあとの日本画はまた、新鮮な印象だ。 |