大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は三谷幸喜の脚本なので実におもしろい。義経が狡猾残忍に描かれ、事実はそうだったかもと驚いたり。現在第14話。まさに、木曽義仲が倶利伽羅峠で平家に勝つが、朝廷は田舎者の義仲を嫌うという場面。 暑いぐらいの天気、義仲寺にでも行ってみよう。 |
木曽義仲が討死して数年後、美しい尼僧がここに庵を結び、義仲の菩提を弔ったという。里人が名を尋ねると「われは名もなき女性(にょしょう)」と答えるだけでした。この尼こそ義仲の側室巴御前でした。 |
巴塚(供養塚) 木曽義仲の愛妻 巴は義仲と共に討死の覚悟で此処粟津野に来たが、義仲が強いての言葉に最期の戦を行い、敵将恩田八郎を討ち取り涙ながらに落ち延びた後 鎌倉幕府に捕えられた。和田義盛の妻となり義盛戦死のあとは尼僧となり各地を廻り当地に暫く止まり 亡き義仲の菩提を弔っていたという。 それより何処ともなく立ち去り、信州木曽で九十歳の生涯を閉じたと云う。 |
「かくのごとき をみなのありと かってまたおもひしことは われになかりき」 と巴を詠んだ三浦義一の歌碑 |
義仲寺 2022/4/11 - Spherical Image - RICOH THETA
義仲寺 2022/4/11 - Spherical Image - RICOH THETA
山吹は義仲の妻そして妾とも云う病身のため京に在ったが、義仲に逢わんと大津まで来た。義仲戦死の報を聞き悲嘆のあまり自害したとも捕られたとも云われるその供養塚 |