江戸時代には、豊臣家や秀吉に関するものはすべて壊され、禁止された。 |
しかし京都での太閤さん人気は高く、秀吉を隠れて崇拝する人もいたという。 |
まるで「隠れキリシタン」のように、密かに太閤さんを信仰する人々が集ったのが新日吉神宮だった。 |
後白河法皇が「法住寺殿」を造営し、厄除けのため、比叡山東坂本の「日吉山王七社」を勧請(神仏の分霊を他の場所に移し、祀ること)したのが始まり。 |
京都市指定保存樹に指定されている「スダジイ(ブナ科シイ属の常緑広葉樹)」。 成長の遅い木であるため、幹周(幹の太さ)は約4mほどだが、実は樹齢は500〜800年。今なお成長しているスダジイは、秀吉や徳川の時代から現代までをずっと見つめ続けてきたという。 |
新日吉神宮が現在の場所に移築されたときには、すでに立派に成長していたことになるため、木を避けるように建築した“自然に優しい”神社なのかもしれない。 |
神猿は、なぜか捕らえられるように金網に入れられた姿だが、その理由は2つある。 ひとつは「神の使いが盗まれてしまわないように」。そしてもうひとつは「猿たちが夜な夜な動き出すのを防ぐため」。 |