京都東山ウォーク 2014/09/30



耳塚、豊国神社、方広寺


京阪七条駅で集合。


JRから乗り換えて来た人も。京都駅から歩いて20分なのに。


出発・・・


国立博物館を通過。


耳塚公園にてストレッチ体操。


隣が耳塚です。


 16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手をのばそうとして、朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592〜1598年)にかかる遺跡である。


 秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級の代わりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰った。それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、供養の儀がもたれたという。これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりである。


秀吉の晩年の汚点のひとつ。


すぐそこは・・・


豊国神社です。


唐門(国宝)は伏見城の遺構で桃山期の逸品。


「豊臣秀吉公」「豊臣秀頼公」「豊臣秀長卿」を奉祀する神社


太閤さん拝んで出世できるか?


絵馬は瓢箪です。


出世以外は知らんでえ。


30年前に来ていれば、今ごろ社長・・・


大河ドラマ、黒田官兵衛も今、秀吉の蛮行を諌めるのに苦労しているところ。


次は、方広寺です。


なんといっても、この釣鐘。


家康がとうとう豊臣家つぶしのきっかけとなった。




とにかく、デカイ!


鐘の上部にマークがある。


『国家安康』は、家康の名前を割る事で呪う意味である
(実際はただ国家が安らかに健康に、というだけの意味)

『君臣豊楽』は、豊臣を君として楽しむ。つまり、豊臣家を君主にしようという意味である
(実際は君主(帝)と臣(臣民)が豊かに楽しむ、というだけの意味)

まあ、家康側のいちゃもんと言われていますが・・・


せっかくなので、お願いして・・・


説明をお聞きください。


 約6・4dにも及ぶ金を使った。方広寺の改修工事は慶長7年より、のべ12年もの日数がかかった。しかもこれらの工事は全て豊臣家の財布で行われていて、これにより豊臣家の財政が一気に傾いたとも言われています


 方広寺は太閣秀吉の肝いりで建立されたが、建立当時日本最大の木製大仏が売りだった。
奈良の大仏よりひとまわり大きかったという。大仏殿の遺構が遺されている。






本堂に入れていただく。


本尊はあの巨大大仏の10分の一。撮影ご自由に、とのこと。




幻の大仏を収めた、これも日本一の・・・


大仏殿。大阪城天守閣をはるかに超える高さ。




隣の国立博物館の敷地も全部方広寺だったんです。


再び戻り道。割れなかった巨大な石。




もう一度国立博物館を横目に。


今日も暑い日です。


修理なった・・・


鳥獣戯画を近く見に来ます。

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