仏頭山上宮皇院菩提寺(ぶっとうざんじょうぐうおういんぼだいじ)ともいい、聖徳太子の父用明天皇の離宮があったところで、聖徳太子生誕の地と伝えられています。 |
推古14年(606年)秋7月、当時35歳の聖徳太子は天皇の仰せにより、勝鬘経(しょうまんぎょう)というお経を3日間にわたり御講讃になりました。 その時、講話をたたえるかのように、庭には大きな蓮の花が1mも降り積り、南の山には千の仏頭が現れ光明を放ち、太子の冠からは日月星の光(三光)を放ったといいます。 不思議なことが起こったので、天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるよう太子に命ぜられました。 そこで離宮を改造して造られたのがこの橘寺です。 |