7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳です。 当初は、盗掘を逃れて残っていた銅鏡などから7世紀末から8世紀初めの終末期のものと推定されていましたが、2005年の発掘調査によって、藤原京期(694年〜710年)の間と確定されました。 |
被葬者は特定されておらず、 1.天武天皇の皇子説、 2.臣下説、 3.朝鮮半島系王族説 の3つが主な説です。 1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目され、その壁画は教科書等でもお馴染みです。 |
1962年頃、明日香村檜前の村人がショウガを貯蔵しようと直径役60cmの穴を、現在の墳丘南側に掘ったところ、穴の奥で擬灰岩の四角い切石が見つかったことが発端となりました。 その後、1970年に古墳近くに遊歩道設置のための調査が必要となり、奈良県立橿原考古学研究所に発掘調査を依頼しました。 1972年3月に末永雅雄所長指揮の下、関西大学の網干善教助教授を中心とした関西大学と龍谷大学の研究者・学生グループによって高松塚古墳の発掘調査が始まりました。 |
発掘開始から間もない3月21日には極彩色の壁画が発見されました。 古墳自体は鎌倉時代頃に盗掘を受けており、石室の南壁には盗掘孔が開けられていましたが、壁画の彩色は鮮やかに残り、盗掘をまぬがれた副葬品の一部もこの時検出されました。 極彩色壁画の出現は考古学史上まれにみる大発見として、26日に新聞に発表され、日本中でトップニュースとなりました。 発掘作業は、国家プロジェクトとなり、壁画発見からほどなく4月5日には文化庁に引き継がれました。 その後1973年高松塚古墳は特別史跡に、また極彩色壁画は1974年に国宝に指定されました。 |