ゼロ系新幹線 2008/11/29



岡山駅に到着。




しばらく、縁の無かった・・・


こだま659号がゼロ系。


いよいよ、明日が最後。


14:51発まて少し時間があり、自由行動。


それなら・・・


入場券でホームに入ってみよう。


最新鋭のペリカン。


ものすごい速さ!!


駅のディスプレイも。


お別れの表示。


ホームに上がって、ご対面。








すごいことになってる。


懐かしい友にあった気持ち。


りりしい。生きているみたい。良く働いてくれた!


車内のこんなとこも・・・


車内放送も今後は聞けません。




あああ、懐かしい手洗い。


わずか、10分で新倉敷。


10分だけの最後の楽しみでした。


ちょうど、向こう側に最新高速の後輩。


こんなとこにも目をつけて記録する人。


たしかにレトロだ。


本当にありがとう。





ゼロ系新幹線へのオマージュ
 初代新幹線であるゼロ系がいよいよ今月末をもってラストラン。44年の歴史を閉じ引退するという。当時、世界最高の時速220Kmもいまや、あの線路上をノロノロ走られては、ダイヤも効率的に組めぬというわけだ。
 しかし、我々の世代にとってはこれは何の引退にもかえられない大ニュースであり、マスコミは特集を組んで流している。ゼロ系以降、次々と何代もの新幹線車両が登場しているが、最新のペリカン顔(700系)を始めとして、どうも変な顔ばかり。唯一、500系はかっこいいと思うが結局、この顔はゼロ系によく似ている。
 昭和39年(1964年)、高校を卒業して高度経済成長の中、東レ(当時は東洋レーヨン)に入社。10月開催の東京オリンピックに向け、東京は大変身中。そして、東京ー大阪間を超高速で結ぶ電車「新幹線」の工事が真っ只中。工事場に入って初めて見る広軌線路を枕に空を眺めたことがある。
 当時の金で3800億円を投じたというこのものすごく速い電車はほんとに実現するのか、あまりにも速すぎて飛行機のように浮いてしまうのではないかと、世界の注目を集めた、まさに「夢の超特急」。空想科学小説が実現したのだ。
 以前にテレビの「知ってるつもり」という番組で、島秀雄という技術者親子二代が苦労して新幹線を完成させたエピソードを見てものすごく感動したのを覚えている。日本の技術力を世界に示し日本人に夢と希望を与えたこの偉大な「日本人」の引退に立ち会わずしては義理がたたない。
 前職で10年ほど前、東京への週2回の日帰り出張、そして単身赴任中は東京を基点にして日本中を営業で新幹線には200回はお世話になった。今は自腹だと、まず新幹線を使うという気が起こらないのが事実。ここ、5年以上新幹線に乗っていない。久しぶりが、最後の別れとなった。


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