映画「闇の子供たち」 2008/09/15

京都シネマ



 原作のある映画だけ観て(原作も含めて)作品を知った気持ちになることが殆どである。
 梁石日原作の「闇の子供たち」は既に4年前の著作である。テレビで取り上げられたり、ネット上の多くの書き込みを見て、やはり、原作を読んでから映画を観るべきだと、先般の青春18切符の旅の車中で読破した。
 この映画、最初はごく少数の封切館だったのが、クチコミで、全国的に上映館数が増えたという。


と言ってもミニシアター、「京都シネマ」でもせまい方の館。評判をよんでかなりの入り。


 チケット購入の順に呼ばれ入場、好みの席に座る。62番だともう前の席しか残ってなく、小さいスクリーンながらもすぐそこ3~4m先がスクリーンなのだ。


 実話と信じられないタイの裏側社会。極貧の家庭で生活のために子供が売られ、8歳ぐらいの子供たちはシンジケートの暴力を受け、幼児買春のマニアによって徹底的に陵辱され尽くす。


 幼児が大人の性の奴隷として物扱いされている現実は驚くべきことだが、更に日本では認められていない未成年の生体移植に関するビジネス。日本など先進国の病気の子供の内臓移植のため、子供たちは生きたまま臓器を摘出される。つまり、ここの子供たちは我々の国に次々殺されている。


幼い2人の姉妹は親によってブローカーに次々売られる。


 幼児買春の犠牲になり、体がボロボロになった姉は、やがてエイズなどの病気にかかり、ゴミ袋に入れられ清掃車に積まれゴミ焼却場に捨てられる。
 瀕死でゴミまみれになり、妹を心配しながら、山を越え谷を越え、はるばる故郷にたどりつく。這って近寄ってきた真っ黒な「何か」が、小さい声で「おかあちゃん」と訴えるのを確かに聞いた母親の驚き。「なぜおまえがここに?」。庭に竹の寝場を作り、次第に衰弱し、最後は生きたまま蟻に食われ、蟻で真っ黒になってしまった幼い娘に火をつけて葬るなど、極貧の家族の哀れが身につまされる。


 そして、同じく売られた妹の方も性の奴隷で陵辱される毎日。突然、いい衣服を着せられ、まともな食事を与えられる。そう、日本からの臓器移植のニーズが来たのだ。


 子供を助ければ、日本の病気に苦しむ子供が死ぬ。一人を助けても、次々と次の犠牲が続く。我々には何もできない。

 タイの観光地で美しいお寺などしか知識の無い我々は1歩裏に回れば、恐ろしい世界、救われない子供たちが闇から闇に葬られていく。


 小説を映像化するという意味で映画化は評価できるが、絶対、原作を読むべき。映画では、原作の一部を映像化しただけ。本当の貧困、子供たちの悲惨さなどは原作でなければ絶対に理解できない。原作には無い映画のラストは唐突で、不要かとも思ったが、あまりにも重い内容に、娯楽性とサスペンス性が必要と思ったのか。

解説:
 梁石日原作の小説を『亡国のイージス』などの阪本順治監督が映画化した衝撃作。タイで横行する幼児売春や人身売買という、目を背けたくなるような現実に鋭く切り込む。記者としてジレンマを抱える主人公に『戦国自衛隊1549』の江口洋介。彼とは正反対の立場で子どもたちを救おうとする女性を宮崎あおいが熱演する。日本から決して遠くはない国で繰り広げられるむご過ぎる物語が心にずしりと響く。(シネマトゥデイ)

あらすじ:
 日本新聞社のバンコク支局駐在の南部(江口洋介)は、東京本社からタイの臓器密売の調査を依頼される。同じころ、恵子(宮崎あおい)はボランティアとしてバンコクの社会福祉センターに到着する。彼女は所長から、最近顔を見せなくなったスラム街出身の少女の話を聞くが、実は彼女は父親に児童性愛者相手の売春宿に売り飛ばされており……。(シネマトゥデイ)


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