西国三十三所 観音霊場の祈りと美  2008/08/27

奈良国立博物館



 昨日、大津の先輩Kさんの新盆のお参りに職場の仲間と行った時、先輩が20年かかって集めたという西国三十三所の御朱印の掛け軸を拝見。最後の方では1回に数カ所を効率よく回るバスツアーだったそうだが、すべてを見事に揃えて逝って思い残すことは無かっただろう。歳をとると、自然にこのようなお寺参りをしたくなるのか。白装束で杖ついて札所巡りが楽しい年齢になったのか。自分はまだまだこの域に達せず、観音様に看取られることなく罰当たりな最期を迎えることになるだろうな。
 おりから、奈良国立博物館での特別展。「これを観れば全部廻ったことにしてくれる?」。ありがたみも何も無いわなぁ。


JR奈良駅から市内循環路線バス。オリンピックが終わったところで、この「北京終町」というバス停はなぜか気になる。


東大寺のすぐ隣。


奈良国立博物館本館。


少し離れて新館がある。


この博物館もすごい宝物を所蔵していて、常設展示だけでも圧倒される。


本館の常設展を鑑賞したあと、地下道を通って新館の特別展「西国三十三所観音霊場の祈りと美」へ。





 西国三十三所巡礼は、四国八十八ヶ所巡礼(四国遍路)と並んで最もよく知られた巡礼の道です。西国三十三所巡礼は、一説に奈良の長谷寺を開いた徳道上人によってはじめられ、その後、花山法皇の中興を経て広がっていったものと伝えられています。そもそも霊場が三十三所に定められたのは、『法華経(ほけきょう)』普門品(観音経)に説かれる、観音菩薩が三十三の姿をあらわして衆生を救済するという三十三身の教えに基づくと考えられます。それぞれの霊場は宗派も一様ではありませんが、いずれも観音菩薩を本尊として祀っており、三十三所の巡礼は、宗派を超えた観音の道ということができます。
 西国三十三所巡礼は、当初主に僧侶の修行の一つとして行われたと考えられますが、霊場への信仰が浸透するにつれ民衆にも広がり、室町時代には巡路が確立し、庶民による参詣が行われるようになりました。江戸時代には旅や社寺詣での流行とも相俟って娯楽的な要素が加わり、多くの参詣者で賑わうようになります。そして、その人気は近年でも衰えず、四国遍路とともに現在も多くの人々に親しまれています。  
 ところで、本年は、西国三十三所巡礼の中興といわれる花山法皇の崩御より一千年の記念の年に当たります。本展覧会では、花山法皇の遺徳を偲ぶとともに、歴史ある各霊場に伝えられた宝物の数々を開陳し、三十三所の歴史と信仰の遺産、信仰に基づく美の世界を展示し、観音霊場に捧げられた人々の祈りの軌跡を描き出します。また広く観音信仰に関わる遺宝を会し、造形を通じて理解を深めていただきたいと思います。
 この機会に、先人の貴重な遺産をたどりながら西国三十三所巡礼の歴史と信仰を知っていただき、併せて観音菩薩に託した先人の思いを感じていただければ幸いです。



各寺の宝でもある国宝・重文クラスの仏像、絵巻、書、経文、曼陀羅などが、約200点。


さすがにご本尊は来てないだろうが、今の時期、お遍路しても、御利益は少ないかも?


各お寺の写真展もあります。




信仰心でなく、桜、紅葉の名所として有名。数えてみると、1番の那智青岸渡寺、最後の華厳寺を含めて、今までに15カ所は訪れている。


これが御朱印をもらう前の掛け軸。各お寺の位置は決まっている。いわゆるスタンプ帳だ。


仏様のお手のパターンなど。


せっかく奈良へ来たんだから、もう少し、いろいろまわっても?。まあ、近くだから。


これこれ、危ない。車が注意してくれる。


外国人の観光客が多いのはどこも同じ。


殆どがガイジンさんです。


14時ごろに遅い昼食を。この通りはちょっと高いところなら、裏に若草山、東大寺を見られる絶景。


「南大門」の2階で三笠セット。鯛2匹のおかしら、豪華。1300円。


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