「あづち信長まつり」は毎年500人の町民が戦国時代の武将や姫、村民にコスプレして行列する。どこかみたいに衣装や行列要員を映画村からレンタルするのとわけが違い、地元の町民の手作りのおかしさ、なごやかさ、そしてなりきり時代装束の似合うこと、ほほえましさ100%である。これは過去に写真とともに何度も書いてきた。自分もこのコスプレしたかったなあ。 さて、今年はその「あづち信長まつり」も朝勤務のため見ることができなかった。多くのイベントのうち、信長に関する講演会は15時からというので、かねて予約しておいたのだ。講演の演題はずばり、「信長」。 2年前、「信長の棺」という小説が大ブームとなった。当時、時の首相小泉純一郎氏が選挙(自民党が圧勝した)期間中読んでいたということで、めったに本を買ったり、長編小説を読んでいなかった自分が珍しく、購入して夢中で読んだことが記憶に新しい。 そして、この小説の著者である加藤廣氏の経歴を知って激しく驚いた。「信長の棺」は氏が還暦をとおに過ぎた75歳で初めて書いた小説というのである。自分もまだまだこれから小説でも書いて印税で余生を・・・なんて考えたが、まあ、氏は今まで多くの経済活動の経験から経済に関する本を多数出版しておられ、文章には慣れているんだなあ。 |
織田信長の家臣であり「信長公記」を書いた実在の人物、太田牛一の目を通した本能寺事変前後。「見て来たように」興味深く実況する。明智光秀に攻められ、本能寺からねずみ一匹抜け出すことができなかったはずなのに、信長の遺骸は骨片はもとより、完全に消えたのは歴史上の事実である。消えたというのは、爆発で木っ端微塵、逃げたなどしか考えられないが、本能寺から南蛮寺までの地下トンネルの存在、そして、なんと、秀吉の陰謀・・・・。果たして、信長の遺骸はどこにあったのか? この物語は一度、テレビドラマ化されたことがある。キャストは豪華だったが、あまりにもお粗末な出来でガックリした。原作を読まずに映画で評価することがあるが、この時、まさに、原作と映像化は全く別物ということを改めて感じた。 |
加藤廣 1930年東京出身。医者の家庭に生まれたが、父が38歳で早世し母子家庭に育つ。父の遺言が「医者にするな」で医者を断念。新宿高校から東京大学法学部に学ぶ。中小企業金融公庫京都支店長、調査部長を歴任。山一証券に転じ、同経済研究所顧問、埼玉大学経済学部講師など。東洋経済新報社、プレジデント社、日本工業新聞などから多数の経済、経営書を刊行し、広く講演活動も行う。十数社にのぼる中堅企業、ベンチャー企業の経営の指導で高い評価を受ける。「信長の棺」は75歳になって初めて作家転向の第一作である。 このあとの著書は「秀吉の枷」、「明智左馬助の恋」、「謎手本忠臣蔵」、「空白の桶狭間」と続く。 |
氏はもともと信長好き。執筆にあたり、本能寺の規模、抜け穴の可能性、南蛮寺の発見までの長い長いリサーチ。そして、なぜ信長がこんな辺鄙な地に塔のような安土城天主を建てたのかの疑問を解決した時がこの本を書くきっかけになったという。本書にもある通り、信長は、古臭い「暦」をめぐって朝廷との摩擦。自分で興味を持つ天文学、東西南北きっちりに合わせた上層8角の天守閣など。サウジアラビア、エジプトなどでの経済講演を経て信長の死によって日本の歴史が300年近く遅れたことなど、熱く語った。 悲劇の英雄の死では、義経、光秀など、実は死んでなかったという伝説も好きである。特に後に天海僧正として徳川幕府に偉大な影響を与えたといわれる光秀の伝説には興味がある。 |
6月1日。ガソリンが220円/リットルも、そして、次々と食料品の値上げ、新道路交通法改正で車の後部座席もシートベルト義務、自転車は歩道を走れないなどなど、大きなニュース満載。 |