勝龍寺城 2008/04/28



乙訓寺からしっかり歩き、再び長岡京駅まで戻る。


途中、菜の花いっぱいの畑。


巨大な村田製作所の本社屋。


今度は駅の裏側へ。


こちら側は向こう側と全く違い、ひっそり。昔の「神足駅」のまま。


勝龍寺城公園の表示。確かに、このあたりまで城だったんだろう。


細川ガラシャも21世紀になって名前が残るとは思ってなかったろう。


しばらく歩くと、到着。


細川藤孝(細川幽斎)とその子である忠興と明智光秀の息女玉(後のガラシャ)が祝言をあげたのはこの勝龍寺城。


本能寺の変により、光秀は細川に味方になってくれるよう依頼するが、結局、味方せず、お玉は幽閉される。


お玉も大変。最終的にキリスト教の洗礼を受けガラシャと名乗る。三成側、家康側の間に立たされ、ガラシャは38歳で・・・


観光客はゼロ。


のんびり散歩を楽しむ親子。




入城します。








悲劇の二人。






模擬櫓の中は資料館。







発掘品などの展示。




細川親子とガラシャ。











前 乙訓寺


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