蓮如上人は比叡山延暦寺僧兵から御開山聖人の御真影(ご木像)を守るために、その対立勢力であった三井寺に預けていました。その後文明十二年(1480年)山科本願寺が建立されて、門徒衆が御真影をお迎えしようと三井寺に赴かれたところ、「人間の生首二つ持って来い」と無理難題を持ち出してきました。これを伝え聞いた上人は、困惑され日夜心痛なされていました。当時光徳寺の門徒衆に篤信の源右衛門・源兵衛という漁夫の父子がいました。この難題に 源右衛門・源兵衛親子は、日ごろのご恩に報いたいと、首を差し出す決意をしました。 |
父源右衛門は、息子源兵衛の首を持ち三井寺へ赴きました。しかし、三井寺は「もう一つ首が足らない」と 詰め寄ると、もとより覚悟の父源右衛門は、「自分の首を取ってくれ」と言った。三井寺は堅田の源右衛門・源兵衛親子の殉教心に感じ入り、御真影と源兵衛の首を返してくれました。その後父源右衛門は、諸国巡礼の旅の末、備後国(広島県)で没したと伝えられています。 このストーリーは、節段説教などにも題材にされている有名なお話です。 |