坂本日吉東照宮のあと、京阪電車「別所」で降りて・・・。 |
江戸時代中期、松尾芭蕉への回帰を唱え、蕉風俳諧復興に尽力した与謝蕪村は、一方で、当時、新風をもたらしていた絵画スタイル、文人画の立役者としても著名です。そして大津では、呉春とならぶ蕪村の門弟であった紀楳亭(九老、1734〜1810)が、人々に請われて多数の作品を描いていたほか、蕪村に私淑した横井金谷(1761〜1832)が坂本に庵を結び、地元に多くの作品を残しました。それは彼らが非常にユニークな人物であったため評判を呼んだものと思われます。近江蕪村と呼ばれる彼らですが、蕪村風の作品以外に、彼らの個性あふれたユニークな作品が数多く残っている点も、単なる弟子や追随者にとどまらない彼らの活動を物語っています。そのためか、現代においてもなお評価は高く、海外でも愛好され、作品が収集される文人画家となっています。 本展では、大津に愛された楳亭・金谷の作品の数々を、これまでにない250点あまりの規模で、地元に伝わる作品を中心に、国内外から発掘し、自由でとらわれのない文人精神を存分に発揮した彼らの画業を概観すると共にユニークな人物像も紹介します。 |
●紀楳亭(き ばいてい)《通称:九老(きゅうろう)》 呉春とならぶ蕪村の門弟であった紀楳亭(1734〜1810)は、もともと京都に住んでいたものの、天明の大火(1788)で罹災し、現在の浜大津の近くに身を寄せてきて、亡くなるまでの20年あまりを大津で過ごしました。京都時代は、蕪村風の山水図をもっぱら描いていましたが、大津に住んでからは、近所の商家のために、縁起の良い吉祥物や、温和でのどかな山水画、そして軽妙な俳画を描いて好評を博していました。湖南の穏やかな風光や、気さくな人々たちとの交遊が、彼の画風にも影響を与えたのでしょう。特に、彼の人物・動物表現は、現代日本の漫画にも通じる親しみやすく、コミカルな表情をみせる点で、面白さと斬新さを感じさせる絵画であると同時に、大津の人々に慕われた、ほのぼのとした彼のお人柄が伝わってきます。また、楳亭は大津時代には、「九老」という別号をよく署名しています。 |
●横井金谷(よこい きんこく) 蕪村に私淑した横井金谷(1761〜1832)は、まれにみる奇人であり、なんでもやりたがりの行動派で、全国を放浪したアウトサイダーの画僧です。とにかく闊達で、おもしろおかしく、周囲をさんざんヤキモキさせたり、迷惑をかけながらも、憎めないお人柄で、常に周囲に人が寄ってくる人物だったようです。その愛すべきキャラクターは、彼の書状に一番よく現れています。また作品は、非常に奔放に筆を走らすダイナミックな山水を描く一方、やはり、マンガチックな略筆で、当時の市井の風俗や人物を描いており、好奇心の旺盛ぶりを作画にも発揮しています。そんな彼は晩年、坂本に庵を構え、米櫃の米が少なくなると、地元の人々に絵を描いては米をわけてもらっていたことが、書状からも判明します。 |