映画「いのちの食べ方」 2008/03/20



 いわゆる「劇映画」は過去に何百本と観てきた訳であるが、はたして、そのストーリー、内容は覚えているかというと、よほどの作品以外は無理である。昔の作品なんか、レンタルで借りてきたDVDを半分観たあたりで、「この映画、昔観たな」が時々ある。


 今回の映画「いのちの食べ方」はミニシアターしかかからない、いわゆるキワ物?。何かを食べる時には時々思い出すだろう1本になるだろう。


 音楽もナレーションも字幕も無い。我々人間の食材がどのように作られ、加工されているか、映像は、ただただその現場をそのまま見せる。植物系(キャベツ、キューリ、トマト)の収穫風景ならまだ微笑ましいぐらいで楽しめるが、小麦、ひまわり、木の実などの飛行機、巨大なブル、振動マシンでの一網打尽的収穫は効率を追求、強引な人間の日常を見せる。


さて、人間の食べるものはもちろん植物だけで無い。(美しい田園、畑の中の)植物の場面と、交互に入る肉類の処理場面。ふだん食料品店では肉片の形でしか見ることは無いが、もちろん肉になる前は生きていた訳である。 膨大な数の生きたにわとりが機械で強引にかき集められ、ベルトコンベアーに乗ったかと思うと羽が剥がされ首が落とされ焼かれ・・・。生きたままの豚が足をフックで吊り上げられて次々と流れていく。おばちゃん作業員がガムを噛みながら無表情に豚の足を電気鋏でチョキンチョキンと切っていく。牛の屠殺場面もショッキング。次々と流れ作業で殺されて肉としてぶらさげられ皮を剥がれ、ノコギリで身半分にされる。吊り下げられてバケツ何倍分かの血が一気に流れ落ちるまで、この牛は確かに生きていた反応が見える。作業員は毎日何百頭の牛を、物を扱うように淡々と処理していく。コンベアーに乗って次々流れて来る巨大な牛の臓物を無表情により分けていくおばちゃんたち。


そして、食事時間には平気でハンバーグなどを口にする作業員たち。


 動物は、自分の食べるだけしか収穫しない。ライオンやトラが草食動物を襲って食べるシーンを映像で見る時、残酷を感じるが、これを見ると、人間というものは、自分が食べるため以外に大量に生物を殺す唯一の地球上の生物であることを知る。


映画のスタッフの伝えたいメッセージは何なのか、考えたい・・・


グロ映画の分類ではない。しごくまじめな映画である。


映画のパンフレット。


牛の屠殺場面。脳天に電気ショックのあと、ドラムが回転してコンベア上に。


 コンベアにのせられ機械で生きたまま腹を裂かれ内蔵を取り出されるサケ。魚のさばきシーンはまだ見慣れた方のはずだが、むしろ、このシーンがもっとも痛かった。

これから、何をいただくにも手を合わせて感謝したいね。


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