勧修寺、明智光秀塚 2008/02/28



昨日と今日は公休。昨日はなんとなく外に出なかった。今年の2月はいつもより1日多いので、今日は2月末ではない。まだまだ寒く、外へ出るのは・・・・といってもいられない。「やっぱり、もったいない」と、昼からもぞもぞと、京都でも。今は、梅。でも、まだ盛りの時期ではない。京都で行ったことのないところは、と、山科の方へ。


JR山科で降り、地下鉄「小野」駅。


勧修寺はたしかに初めて。


おっ、青空になってきた。


前は枝垂桜の並木。


参拝客はだあれもいない。


右手の桜も満開時はさぞすごいだろう。


拝観料400円。券は絵葉書だった。


「かじゅうじ」というのが本当の呼び方らしい。


桜の季節は訪れる人は多いだろうな。



寝殿作り風の宸殿

昌泰3年(900)、醍醐天皇は生母の菩提を弔うため、生母の里であった寺を御願寺と定め、外祖父・藤原高藤の諡号をとって、勧修寺と号されました。天皇家、藤原家の帰依のもと、法親王が相次いで入寺し門跡寺院として繁栄しましたが、まもなく衰え、徳川時代、寺領寄進などにより再興されました。寝殿作り風の宸殿や、江戸初期書院作りの典型とされる書院(重要文化財)は元禄10年(1697)に明正天皇の旧殿を外賜されたもので、書院には土佐光起作とされる襖絵があります。







梅はまだまだ。


水戸光圀公の寄進で、「勧修寺型灯篭」と呼ばれている。



入り口で「梅はまだですか」と聞いたら、「今年の老梅は花のつきが悪いです」とのことだった。




ご親切なことで・・・


ここにも・・・


花も無い、緑も無い・・・・。今が最も何も無い時。


真言宗山階(やましな)派の総本山。弘法大師のミニ西国めぐりがあった。


遠くの山が美しい。


言われてみると行ってみたい。何があるのか?


池を一周する。






一周まわったけど、特に何も?。以前に何か事故でもあつたのか?。



池の背景として絵になる観音堂。




「勧修寺氷池園」、ここのハスの花は見事だそうな。




時期的に、どの風景にも会えず・・・

近くは随心院。ここの梅は3月以降、今度の時に・・・


「カフェ トライアングル」でコーヒーで一休みのあと、近くを少し歩く。



川のほとりにある梅はきれい。




右奥は小栗栖の竹薮


うっかりすると見逃しそうな場所に。

明智光秀は織田信長を本能寺で討ち果たした後、天王山にて羽柴秀吉と戦い敗れた。


しかし、彼は落ち延びようと近江 坂本へと向かうが



伏見の小栗栖の竹薮にて 、地元農民の落ち武者狩りに遭い、その命を絶たれてしまう。



明智光秀のゆかりの地は多い。三条の首塚など。また、いつか、歩いてみよう。


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