昨日に続いて朝勤務明けの京都。 今秋の最大の楽しみ美術展はずばり「狩野永徳」展。今日は、これだけが目当て。 |
絵画史の上では、わずか半世紀ほどの桃山時代。しかし、かつてこれほど活気に満ちた、芳醇な時代はなかったでしょう。壮大な規模を誇る城郭殿舎に飾られた豪壮華麗な金碧花鳥画をはじめ、人々の姿を細やかに描出する風俗画や力強い筆さばきをみせる水墨の屏風絵など、四百余年の時を経た今も、それらは私たちを魅了してやみません。織田信長や豊臣秀吉ら天下人の大らかな気風と、桃山という時代の発散する強烈なエネルギーをそこに感じ取れるからなのでしょう。
そんな魅惑的な絵画制作の担い手となったのが、狩野派です。同派は始祖の正信、次代の元信以来、画壇の中心勢力として活躍していましたが、桃山時代に入ると、天才・永徳(1543〜90)の登場によって、その地位は揺るぎないものとなりました。永徳は信長の安土城や秀吉の大坂城、聚楽第などの一大モニュメントの障壁画制作を次々と成功させることによって、名実ともに「天下を取った絵師」として画壇に君臨しました。と同時に、ダイナミックで雄大なその画風は、長谷川等伯や海北友松ら他派の絵師たちにも大きな影響を与えたことが知られています。その点からすれば、桃山時代はまさしく永徳その人の時代であったといえましょう。 |
本展は、そんな永徳の画業に焦点を当てた史上初の大回顧展となるもので、代表作をはじめ、新発見や初公開の品々が一堂に会します。まず水墨画では、国宝「花鳥図襖」や「琴棋書画図襖」(ともに聚光院蔵)、重要文化財「仙人高士図屏風」(京都国立博物館蔵)がとくに注目されます。そこにみる凄まじいまでの強靱な筆遣いは従来の水墨画の枠を超えたもので、まるで天才絵師のほとばしる情熱そのものを見ているかのような印象を覚えます。
一方、金碧画では壮大なスケールをもつ「唐獅子図屏風」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)と、国宝「檜図屏風」(東京国立博物館蔵)を挙げなければなりません。尾や鬣をなびかせ闊歩する唐獅子と雄々しく枝を伸張させる檜の姿に、信長や秀吉のイメージを重ね合わせる方も多いことでしょう。これに対し、まことに繊細で緻密な風俗画も永徳は描きました。信長が上杉謙信に贈った国宝「洛中洛外図屏風」(米沢市上杉博物館蔵)と、最近、発見され話題を呼んだ「洛外名所遊楽図屏風」です。そこに登場する人々の活き活きとした暮らしぶりは、時代の息づかいすら感じさせるところがあります。永徳の細やかな観察眼が偲ばれる名品といえましょう。 このほか、永徳筆の「織田信長像」(大徳寺蔵)をはじめとする為政者たちの肖像画や希少な永徳自筆の書状、縮図などの資料類も併せ展示される予定です。その数、約70件。永徳芸術の神髄をこの機会にぜひ、ご堪能ください。 |
現存する永徳の代表作を中心に、父・松栄、弟・宗秀、長男・光信ら同時代に活躍した狩野派絵師の作品を紹介。 日本を代表する画家の大作を一同に。これだけまとめては、二度と見られないだろう。安土城、大阪城、聚楽第などの障壁画が全て焼けてしまっているのは非常に惜しい。信長、秀吉が金に糸目をつけず最高の美術を求めた作品はどんなだったろう。永徳自身も安土城天守が消失したことを聞いた時はどのような気持ちだっただろうか。 小説「信長の棺」の太田牛一の「信長公記」の実物も見た。 |
信長が上杉謙信にプレゼントしたという「洛中洛外図屏風」贈った者、贈られた者ともに、そのすばらしさをめでている。京都の四季を描き込んだ巨大な屏風に2485人ものさまざまな職業の人たちが生き生きと描かれている。2485人!!。数えた人もすごいね。 |
これもでっかい。事前にテレビの特集を見てから来たが、この絵に描き込まれた謎など、吸い込まれる。 なぜ、この絵が国宝とか重要文化財指定でないのでしょうか。俵屋宗達の風神雷神図に匹敵する。 永徳のライバルとして当時、長谷川等伯がいた。ちょうどルネッサンス時のダビンチ対ミケランジェロのようなものかと思う。永徳はそのライバルとの仕事のとりあいなどにも奔走しているなどもおもしろい。 20歳そこそこの作品から、晩年の(といっても、47歳で亡くなっているが)の大作まで。狩野元信は息子松栄に期待せず、孫(松栄の息子)の永徳に才能を見いだし教えたという。元信と永徳が分けて描いた屏風も見事。 |
たまにはおいしいコーヒーとチーズケーキで豊かな気分に。鴨川ほとりの喫茶店にて。 |