京都 大雲院祇園閣 2007/07/26



京都ミステリー紀行のあと、まだまだ時間があり、このあたりで行ったことの無いところは?。


八坂の塔を中心に緑の山、日本瓦の景色の中に奇抜な、これ何?と以前から・・・


「祇園閣」っていうらしい。


大雲院?


信長・信忠父子をとむらう。


普段は非公開?、ラッキー!




「大雲院」は織田信忠公の法名から。


このお寺の云われから。


後陽成天皇の直筆 とか。うーん、なんと特徴的な、なんともくせ字。この天皇の性格が分る?


いよいよ祇園閣へ。






タイミング的に、このおばちゃんらと行動をともにすることに。



あ・うーん。




大倉財閥の大倉喜八郎氏が別荘として建てた昭和初期の名建築。設計を担当されたのは、築地本願寺などで有名な伊東忠太氏。昭和2年。「金閣寺、銀閣寺があるのに、なぜ、銅閣寺が無いのか」の発想から。
高さ36メートル、鉄筋コンクリート造りの三層建。建物は祇園に因んだ山鉾を模した形で、鉾先には金鶏が取り付けられている。塔の最上階には平和の鐘が架けられ、一層には阿弥陀像が安置されている。一層から三層への通路壁面には、中国・敦煌莫高窟に描かれている壁画を模写した壁画が描かれている。
当時は、京都のど真ん中に奇抜な京都タワーが建った以上にものすごく衝撃的、ひんしゅくものだったとか。


昭和48年に大雲院が四条寺町からこの地に移って来た(現高島屋百貨店との土地交換)時、すでに、祇園閣はここに存在し、縁あって、大雲院の一部に。


あんなに遠い知恩院がいかに大きいかが分る。


こちらは、霊山観音と八坂の塔。


緑いっぱいの風景も反対側は殺伐とした大都会。なんと汚いことか。あえて、写真は撮らない。


八坂の塔よりも、こちらの方が断然高い。


風も流れ、こんないいところがあったんだ。


墓所へ行ってみよう。




「天下布武」の夢。


君たち、信長は知ってるよね。


墓所から仰ぐ祇園閣。やっぱり、でっかい。


盗人と言われるのは彼には不本意。


本堂、鐘楼など文化財は多い。


なにげないショットをねらってジッと待つカメラマンの気持ちが分る。


もちろん観光客のコスプレなんですが。


しゃべらなきゃ分らないのに・・・


このあと、ドラえもん展へ


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