現在の京都御所の御殿は1855年(安政2年)に造営され、内部の障壁画は、当時のわが国絵画界を担っていた精鋭の絵師達が総動員されて描かれました。それは、いわば19世紀の京都画壇のタイムカプセルともいえる貴重なもので、当時の画壇の全容を如実に物語っています。 本展では、御殿建物や障壁画の保存管理の観点から、広く公開されることのなかった京都御所の珠玉の障壁画が初めて一挙公開されます。 多くの方々に、雅に彩られた宮廷文化に接していただくことを通して、わが国の芸術文化を改めて見直し、理解を深める契機となり、また、皆様のそのご理解によって、文化財の保護が一層推進されることを願うものです。 |
桐竹鳳凰図 狩野永岳筆 鳳凰は、古来中国で想像上の瑞鳥とされ、桐の樹に宿り、竹の実を食し、徳高き天子の兆しとして現れると伝えられていました。この鳳凰図は、御常御殿上段の間正面に描かれたもので、天子を象徴する意味でも極めて重要な4面です。 |
尭任賢図治図 狩野永岳筆 「桐竹鳳凰図」に続く御常御殿上段の間の襖絵で、尭は中国古代の伝説上の聖天子、理想の君主とされました。尭が賢人を任用して国を治め、理想的な政治を行ったという、その治世の理想像の象徴として、本図を御常御殿の中でも格式の高い上段の間に描いています。 |
賀茂祭群参図 駒井孝礼筆 賀茂祭は、平安時代以来、京都の祭りの中でも特に古い伝統を持つもので、五穀豊穣を祈願して執り行われました。応仁の乱の後、200年程の中断はあったものの、江戸時代に再興され、現在では「葵祭」として慣れ親しまれています。 本図は「路頭の儀」、即ち御所を出て下鴨神社から上賀茂神社へ向かう行列そのものが描かれていますが、牛車(御所車)や勅使、供奉者の進み行く姿は、正に王朝の伝統そのものを伝えています。 |