平安時代の大同二年(807)弘法大師が開かれたと伝えています。 本尊十一面観世音菩薩は、伝教大師一刀三礼の霊像で平安初期一木彫の秀作と言われ重要文化財であります。 鎌倉時代 元応三年、住持頼秀の時、紀貞経の寄進により、国宝の現本堂(観音堂)が再建されました。 南北朝時代 貞和四年住持頼秀の時、広く庶民の浄財により五重塔が建立されました。一文勧進の塔と呼ばれ国宝になっています。全国五番目の古塔です。 江戸時代 初代藩主水野勝成は福山城を築き、裏鬼門鎮守のため、当寺を御祈願所と定め、末寺四十八を統べる大寺とし、五重塔、本堂、大門などの大修理を施すとともに、護摩堂、庫裏、書院、弁天堂、愛宕神社、十王堂等を建立しました。 昭和時代 昭和三十四年から昭和大修理が始まり、五重塔本堂の解体修理を始め七棟の文化財修理を終え、防災設備も完了しました。 京都嵯峨大覚寺を本山とする真言宗寺院です。 |