彦根 龍潭寺・佐和山城跡 2005/09/17
高校の同級会に彦根に来たついでに、午前中、少し歩いてみよう。
彦根駅から、
昔
懐かしいボンネットバス
彦根港を経て、龍潭寺で降りる。
龍潭寺は若いころに訪れた。
井伊家発祥の地である遠州井伊谷(いいのや)から移された井伊家の菩提寺。
井伊直政が佐和山城主になったのを機に、佐和山山麓に移された。
江戸時代初期に建立された方丈は、彦根にある数少ない方丈建築で、方丈襖絵前104面は、芭蕉十哲のひとり、森川許六によって描かれたもの。
境内の2庭園は、ともに開山の昊天(こうてん)禅師の作。「ふだらくの庭」と呼ばれる方丈南庭は、一面に白砂が敷かれ、観音霊場・補陀落(ふだらく)山を表している。
彦根では、城の方に比べ、観光地としてはマイナー。
ひっそりとして、静かな雰囲気。
ふすま絵など、りっぱな寺宝が見られる。
名園補陀落(ふだらく)の庭
「だるまの寺」として有名
石田三成の多くの資料が残る。
これが石田三成の頭骨
裏へまわり、大洞弁財天を通り
ここから佐和山城跡へのハイキングコース
かなりきつい健脚コース。汗ダクダクで急坂を登り降り。
ここが弁天山の頂上
更に、降りてまた登り、ようやく、佐和山城本丸へ。
とにかく、きつかった。
石田三成の居城としては、質素だとか。
昔住んでいた方角を望む。
三成が関ヶ原で敗れたあと、徳川方に攻められ、石田一族3000人が皆殺しにされ、掘は血の海になったとか
このあと、彦根城ができるまで、井伊氏の居城となる。
233mの高さ。
このあと、佐和山遊園へ
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