緊急事態宣言中、「滋賀に来るな、滋賀から出るな」の現在。 朝勤務を終わり、久しぶりの電車、久しぶりの京都。 異常な暑さの中、鼻までのマスク、しっかり! |
1939年、第二次世界大戦、ドイツナチスのヒットラーとソ連が手を結び、ポーランドが二分され、ポーランド、周辺国の人たちの悲劇は映画でも観た。そして、リトアニアの日本領事館に勤めていた千畝は迫害から逃れる多くのユダヤ人難民から日本通過のビザの発行を求められる。本国へ何度も打診するが、許可は降りず、千畝はついに独断でビザを発行し始める。 |
ウラジオストックから船で敦賀に渡り、神戸、横浜そして日本から他国へ脱出できて生き残った多くのユダヤ人・家族たちは今、日本、杉原千畝に感謝の言葉を寄せている。 |
本国に戻った千畝は命令不履行で当然外務省をクビになり、職探しに苦労する。まあ、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語など数カ国語を自由に操る能力から、テレビのバラエティ番組の翻訳などの仕事につくことが出来た。 |
当時のビザを喜んで展示会に提供する人たちのメッセージには、日本に滞在したときの日本人の暖かいもてなし、無事に素晴らしい人生を送り、子孫まで遺せた喜びと感謝が溢れている。 |
ナチスはユダヤ人を600万人以上殺したと言う。世界で最も優秀な民族、もしホロコーストが無ければ人類の進歩はもう少し早まっていたに違いない。 |