人形遣いの古称。「傀儡子」とも書く。中国で操 (あやつり) 人形を傀儡と呼び,日本では平安時代に,日本古来の「くぐつ」の語をあて,人形遣い (傀儡師) を,「くぐつ,くぐつまわし」などと称した。日本の傀儡師は渡来人であったという説もある。古代には集団をなし,男子は狩猟,女子は遊女を業とし,人形を回した。中世後期になると,くぐつの系統をひく夷舁 (えびすかき) は,摂津西宮神社を根拠地とし,祝言を述べ,夷の人形を回しながら各地をめぐったが,16世紀末から 17世紀初めに,彼らの一部は浄瑠璃と提携,人形浄瑠璃を成立させた。これに対し,劇場に入らず,人形の箱舞台を首にかけて街頭を流す人形遣いは,やはり傀儡師と呼ばれたが,近世後期以後は衰微した。 |