万葉の時代、「香取の海」と呼ばれた乙女ヶ池一帯は、山の麓まで琵琶湖の入り江になっていました。その後は、大溝城の外掘で、恵美押勝が挙兵に失敗し、高島郡三尾崎で捕らえられ、「勝野の鬼江」で斬罪されたと伝えられる地で、壬申の乱で落城したと伝えられる三尾の城も背後の山中にあったと言われ、幾多の歴史を秘め湖面にロマンをただよわせています。現在は、面積8.6ha、平均水深1.6mの内湖となり、フナ、ブラックバスなどが生息し、特にバス釣りのメッカとして多くの釣り人に親しまれています。 |
昭和30年代、淡水真珠の養殖場として利用されることとなった際に「イメージのよい名前を」ということから現在の「乙女ヶ池」に改名されました。 現在は県の園地公園となり、びわバス・こい・ふな・鱒など淡水魚の宝庫として釣り人や散策を楽しむ人に親しまれています。 |
打下古墳 平成13年(2001年)11月7日早朝、高島市の東南に位置する明神崎の山腹で行われていた打下浄水場配水施設工事現場から人骨が出土しました。発見当 時は、発見された人骨がいつの時代のものであるか皆目見当がつかず、関係部署が協議した結果、教育委員会が発掘調査をすることとなりました。 人骨の出土状況は、長さ2m強の箱形の石囲いに納められ、内部は朱やベンガラで赤く塗られていました。出土人骨のほかには鉄刀一振りと鉄剣一口が 認められていました。 |
朝の連続ドラマ小説「ごちそうさん」のロケ地としても使われ、主人公の二人が結婚を誓い合うシーンがまさにこの橋の上で撮影されました。今、縁結びスポットしてもひそかに話題になっています。 |
天正7年、織田信澄(信長の弟、勘十郎信行の子)が高島郡を領し、明智光秀の縄張りによって築城、打下城から居城を移した。 天正10年、本能寺の変によって、信澄は明智光秀の娘を正室にしていたことから、明智方と見られて大坂で落命する。 信澄の死後、大溝城には丹羽長秀、加藤光泰、生駒正親、京極高次が入れ替わり入城する。 元和5年、京極氏に替わり分部光信が、伊勢上野より2万石で入封する。 この時、元和一国一城令の対象となり、三の丸を残して破却された。 分部氏は、 残された三の丸に陣屋を構え、明治まで代々この地を治めた。 |