若冲、蕭白、応挙、等伯、永徳、探幽などなどの大大画家を知るきっかけは、やはり展覧会とかテレビの特集など。しかし、この海北友松って知らなかった。「かいほうゆうしょう」って読む。 |
海北友松(1533〜1615)は狩野永徳や長谷川等伯と並び称される桃山画壇の巨匠です。近江浅井家の家臣の家に生まれた彼は、若年を東福寺で過ごしましたが、主家や兄が信長に滅ぼされるに及び、還俗して狩野派の門を敲き、画の道に進んだと伝えられています。いま遺る作品のほとんどは狩野派から独立して以後の晩年期(60歳以降)のものですが、鋭い筆遣いが駆使された気迫溢れる水墨画や詩情豊かな大和絵金碧画などは、ほかの誰の作とも似ていない、まさに友松ならではのものといえましょう。 最晩年まで絵筆を握り続け、83歳でその生涯を終えた桃山最後の巨匠の世界を、心ゆくまでご堪能ください。 |
近江の武士であったが、画家として生きることに悩む。最初の絵は師である永徳ら狩野派の影響が大きい(岩の描き方など)。 6枚仕立ての屏風に中の2枚には殆ど絵が無いとか、片隅に絵が集中しているなど、友松独自の余白には驚く。友松得意の龍の大迫力!。あえて、暗〜い部屋に龍が浮き上がって来る! 建仁寺には友松がいっぱい。今度行くときはぜひ! |