安土信長まつりは地元の人が武将や姫など戦国時代の衣装で時代行列が行われる非常におもしろく、自分のお気に入りだ。今年も行くつもりだったが、朝から雨・・・。今まで安土信長まつりは暑いほどの天候で、雨なんかあったんだろうか? まあ、グダグダノロノロしているうちに、小雨になり、天気予報では晴れてくるとのこと。 とりあえず電車に乗ったのが11時過ぎ。安土駅には正午到着だ。 |
今年は祭りの会場が従来の安土城下の広場から「文芸の郷」に変更され、駅から無料のシャトルバスが出る。会場変更の理由は城山の所有者の総見寺さんとの交渉問題らしい。 |
講演のあとは、フリー討論会 多くのファンが期待する天主(安土城だけは天守と言わず天主)の復元について、有識者の先生たちは絶対反対という。実物を証明する図面などが無く、単なる想像の建築は許せないということだ。大田牛一の遺した「信長公記」には各階ごとに内部は正確に記されているのに、外見の絵図は何も残っていない。ローマに渡った安土屏風が出てこないとダメなのか。内藤昌案、宮上茂隆案、兵頭与一郎案、西ケ谷恭弘案、森俊弘案ほか、多くの学者が安土城天主の想像を発表しており、最近は内藤昌氏の案が支持されている。 そこまで当時の建築にこだわる必要があるのだろうか。大阪城天守も問題なく復興されているではないか?。安土山に天主を再建すればものすごい観光効果があると思う。 先生は、「実際の天主台に天主を建築すると重量に耐えられないとか、事実に不正確な建築を建てるとそのイメージが固定されてしまう。各自が自由に想像を巡らせるべき」とおっしゃっていた。重量なんて、当然補強するわけだし、また、わずか6年の命だった建築物にそれほど事実に正確性を求めることが必要なのか? 「安土城は国の特別史跡だ」という。歴史遺跡の保存観念について考えてしまう。日本の建築物、仏像などは色が褪せてもそのまま自然に朽ちていくに任せるが、韓国の建築なんて、国宝でも平気で10年ごとに塗装しているではないか。 国民性の違いか。 史跡保存にもの言う文化庁、そして、考古学を揺るがすはずの多くの古墳の発掘を許可しない宮内庁。次第に変わる若い考え方を考慮しないのか。 |