歴史探訪会 柘植周辺、余野公園 2016/05/08



徳永寺







 本能寺の変で、堺にいた徳川家康が伊賀超えして命からがら岡崎に帰ったときに、途中しばし休憩に立ち寄った浄土宗のお寺で、その時のお礼として、後日葵の紋の使用が許されたと言われています。また、このお寺は天正伊賀乱のときに織田信長に内通した土豪福地氏一族の菩提寺でもあります。













「その時歴史が動いた」という番組で、家康が命からがらの伊賀越えで、徳永寺という寺に「門前から見える限りの土地を寄進する」と言い、その寺を檀家とする周辺の伊賀の土豪達を味方にした。よその土地を勝手によう言うね。


家康が許した葵の御紋。


梵字? 手水鉢。







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