「あれから5年」、テレビ、新聞などマスコミは特集を組んでいる。 2011年3月11日の午後、日本中を衝撃が走った。 そして、その悪夢は次々と・・・。つれづれぐさから 悪夢の地獄絵図 超巨大地震・大津波が日本を襲う 地震・大津波の上に原発事故 超巨大地震・大津波・放射能危機 あれから1週間 日本の曲がり角か終焉か、復興への希望を 2万人もの人が亡くなり、多くの被災者は今も仮設住宅で過ごす。 親兄弟を亡くした、子を亡くしたなど、順調だった人生をこの日大きく暗転した人は5年で今どうしているか。 |
当時、すべてのテレビからお笑い番組が消え、CMはACジャパンの「あいさつの魔法」を繰り返しトラウマとなった。覚えておこう。 |
関西人には、1995年1月の阪神大震災もまた、悪夢であった。昨年、20年の節目だったが、その時書いたコメントを今、ここに記録しておく。 あれから20年。東京単身赴任開始して間もない朝。1995年1月17日の朝5時46分。左右にユッサユッサと揺れた。やがて、テレビに神戸長田町の猛火地獄絵図が。当日は自宅にいて、これから東京への予定だった。鉄道は止まっていて、夜行バスで東京に行った記憶がある。近畿では一番地震とは無縁の都市と言われた神戸が恐ろしい苦難に立ち向かうことになった。 戦後生まれの戦争を知らない子どもたちの先陣を行く自分だが、潰された家に挟まって猛火の中で家族に逃げよと叫ぶ地獄絵図を聞くと、戦争当時はこうなのかと少し納得できた。死者6437人。被災者は人生を大きく狂わせられたのだ。神戸の街も人も大きく変わってしまったという。 自分にとっとも、1995年は大転換期だったような気がする。1月の阪神淡路大震災、3月の地下鉄サリン事件、オウム真理教、ハイジャック、東京での新しい仕事での苦悩など。 |