江戸時代の始めにあたる慶長9年(1604)2月、徳川幕府が江戸日本橋を基点とし、諸国の街道に沿って一里ごとに設けさせた里程標。三重県には旧東海道に沿って、12ヶ所に一里塚が設置されていたが、現存するのはこの野村一里塚のみ。 |
もともとは道の両側にあったが、現在は北側だけが残っている状態で、昭和9年1月に国の指定文化財となる。塚の上には、歴史を見守り続けてきた樹齢400年の椋の巨木がそびえ立っている。 |
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