寺田屋で伏見奉行所役人に襲われた坂本龍馬は重傷を負いつつもなんとか脱出した。長州藩の三吉慎蔵は龍馬を肩にかけて夜道を逃げ回るうち、大手橋そばの材木小屋を見つけてここに龍馬をかくしたという。 |
1866 年(慶応2年)1月24日の午前3時頃、寺田屋に滞在中の龍馬が、伏見奉行所の幕府役人に襲撃された。龍馬はピストルで応戦しながら追っ手をかわし、裏階段から庭に出て、隣家の雨戸を蹴破り裏通りに逃れた。手指を負傷しながら5町ほど(500〜600メートル)走って濠川に達し、水門を経て入り込んだ屋敷裏手の材木納屋で救援を待った。 |
渡辺吉太郎の遺書 近江屋での龍馬暗殺は今井信郎、渡辺吉太郎、桂隼之助の3名が2階に上がって斬った。刀の鞘は渡辺吉太郎が置き忘れた。 |
おりょうは、お登勢が捕り方に呼び出された頃、仕事を終えて奥に居ました。このため、表の異変には気づいていません。仕事の後の遅い風呂に入ったおりょうは、風呂の窓が開いていることに気づき、締めようとします。このとき何気なく外を見たおりょうは、寺田屋をびっしりと囲む捕り方の姿に気が付きました。驚いたおりょうは、風呂から飛び出し、そのまま着物も付けずに裏の階段から2階に駆け上がり、部屋にいた龍馬に危機を知らせます。裸のおりょうに飛び込まれた龍馬達は驚きますが、その直後捕り方が2階へと上がってきました。 |