中将姫伝説 《中将姫は747年、右大臣藤原豊成と紫の前との間に生を受けましたが、姫が5歳の時に母が他界したため、その後は継母に育てられました。姫は利口で美しく、9歳の時には孝謙天皇に召され琴を演奏したところ、非常に上手であったので、後には三位中将の位を授けられるほどになり、このことから中将姫と呼ばれるようになりました。一方、継母は姫をいじめ、ついに殺害を計画し、姫が14歳の時山に連れ出し殺すように家来に命じました。しかし家来は信仰深い姫を殺すことが出来ず、雲雀山(宇陀市菟田野区)で匿い育てました》。 |