映画「ぐるりのこと」 2009/02/24



 第81回アカデミー賞発表で、日本の「おくりびと」が外国語映画賞を獲得。日本アカデミー賞での「おくりびと」の作品賞、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞など、10部門を独占の「おくりびと」旋風に隠れて唯一主演女優賞をとったのが「ぐるりのこと」の木村多江である。この「ぐるりのこと」は昨年の邦画の文句なしのナンバーワンと評価する人が非常に多い。
 大津ユナイテッドシネマの「バリアフリー映画祭」の期間中に昨年見逃した「ぐるりのこと」があったので。


撮影時の監督の「スタート」とか「カット」なんて全く無いように思える。

 
主人公から脇役、エキストラまでの、この自然さはどうだ。演技していないことが唯一の名演だろうか。まさに、これが演出の妙。出演している子どもまで、普通に自然に「演技」している。


法廷画家という職を通じて90年代当時の巨悪犯罪の法廷を再現。


映画、ドラマでの名演技の彼女、今回は初めての主演。


完璧を求める女性から心を病む女性まで、そして、お寺の天井画に挑むことにより立ち直るまで。

解説:
 前作『ハッシュ!』が国内外で絶賛された橋口亮輔監督が、6年ぶりにオリジナル脚本に挑んだ人間ドラマ。1990年代から今世紀初頭に起きたさまざまな社会的事件を背景に、困難に直面しながらも一緒に乗り越えてゆく夫婦の10年に渡る軌跡を描く。主演は『怪談』の木村多江と、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の原作者リリー・フランキー。決して離れることのない彼らのきずなを通して紡がれる希望と再生の物語が、温かな感動を誘う。(シネマトゥデイ)
あらすじ:
  1993年、何事にもきちょうめんな妻の翔子(木村多江)と法廷画家の夫カナオ(リリー・フランキー)は、子どもを授かった幸せをかみしめていた。どこにでもいるような幸せな夫婦だったが、あるとき子どもを亡くしてしまい、その悲しみから翔子は心を病んでしまう。そんな翔子をカナオは温かく支え続け、2人の生活は少しずつ平穏を取り戻してゆく。(シネマトゥデイ)

 あえて劇的な出来事を描かず、画面の外に感じさせるこの静かなる映画には、不思議な磁場がある。すうっと魂をもっていかれた観客は、次第に発狂していったバブル崩壊後の約10年を背景に主人公と共に心掻きむしられ、この状況から何とか逃れたいともがくことになるだろう。  ごく普通の夫婦――自堕落で飄々としたリリー・フランキーと、思い詰めがちな木村多江の日常。認められたい、愛されたい、幸せを掴みたい……。女として当然の願いが叶わなかったとき、妻は心の均衡を失う。壊れゆく木村の演技が凄まじく、演技を感じさせないリリーとの掛け合いは、感情のぶつかり合う修羅場と化す。法廷画家という夫の職業は、同時代の病理を感じさせる上で作為的にも思えるが、幼女殺害や地下鉄サリンを始め陰惨な事件を巻き起こした被告たちを垣間見つつデッサンする様は、僕らがメディアを通して社会を体感した似姿といえる。90年代に表出した悪意の数々はこの国に生きる者のささやかな生活をも黒く覆い、確実に精神に影響を及ぼしてきたという事実を、映画は黙々と暴き出す。  しかし、絶望のままでは終わらない。ただひたすら夫は妻に寄り添い、時間を共にする。意味を求め理想を追うことを止め、漂うように生き直す緩やかな生。射し込む一条の光は、希望と呼べるほどまばゆくはない。生きづらい人生を緩和させ癒すのは、たった一人の理解者であるという、実感に基づく橋口亮輔の心の声が聞こえてくるようだ。これは、時代とシンクロしてきた作家が累積した苦しみを吐き出し、再び歩み出そうとする決意表明でもあるのだろう。(清水節)(eiga.com)



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