ノーベル賞に日本人4人 2008/10/09



2日連続のトップ見出しは日本人ノーベル賞受賞。今の暗い世相に珍しく明るい話題が。



ノーベル賞:物理学賞に南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3氏。
 スウェーデン王立科学アカデミーは7日、08年のノーベル物理学賞を、米シカゴ大の南部陽一郎名誉教授(87)=米国籍▽高エネルギー加速器研究機構(高エネ研)の小林誠名誉教授(64)▽京都産業大理学部の益川敏英教授(68)の日本人3人に授与すると発表した。
 素粒子の理論で先駆的な役割を果たしたことが評価された。
 南部氏の受賞理由は、物質の最小単位である素粒子の「自発的対称性の破れの発見」。小林、益川両氏は「CP対称性の破れの起源発見」。素粒子の世界に存在する「破れ」と呼ばれる非対称性の理論化に取り組んだ3氏の業績は、理論物理学の発展に大きく貢献、初めての日本人3人同時受賞につながった。
 左右対称の図形は、左右を入れ替えても形が同じ。物理法則でも、一つの状態をほかの状態に変えても不変であるとされる。しかし、超電導現象などでは、対称性が失われることがある。 南部氏は60年代にこの「対称性の破れ」を初めて素粒子の世界に導入した。これにより、物質の質量の存在が合理的に説明できるようになり、素粒子の基本理論となっている「標準理論」の基礎となった。
 一方、粒子と反粒子(質量が粒子と同じで電荷が反対)の数が全く同じだと、この世界は光だけになる。そこで、小林、益川両氏は粒子と反粒子の性質にあるわずかな違いを示す「CP対称性の破れ」を理論的に説明するため、当時3種類しか存在が確認されていなかった素粒子クォークが3世代6種類以上あることが必要だとする「6元クォーク模型」を考案。両氏の名字をアルファベット順に並べて「小林・益川理論」と呼ばれた。 小林・益川理論は当時の理論物理学の常識を覆す理論だったが、その予言通り、77年までに4、5番目のクォークの存在が実証され、95年には6番目のトップクォークの存在が確定、理論の正しさが証明された。 南部氏は戦後まもなく渡米した頭脳流出組で、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎の両氏(いずれも故人)に続く日本の素粒子論研究者の第2世代。益川、小林両氏は名古屋大理学部の先輩、後輩で、湯川博士の協力研究者だった故坂田昌一博士門下で素粒子論を学んだ。

ノーベル化学賞に下村脩(80)氏。
 ノーベル化学賞に選ばれたボストン大学名誉教授・下村脩氏が8日、アメリカ・マサチューセッツ州の自宅でNNNの取材に応じた。2日続いて日本人がノーベル賞を受賞するという快挙に、下村氏の自宅には祝福の電話が殺到している。 取材に対し、下村氏は「驚きました。化学で受賞は考えていなかったので、ぐっすり寝てたら、けさになって起こされて…ひどいもんです」と話した。 下村氏は1962年に、クラゲから「GFP」というたんぱく質を分離し、紫外線の光を当てると緑色に光ることを発見した。GFPを目的のたんぱく質につなぐと緑色の光が目印となり、そのたんぱく質を取り込んだ細胞の状態を確認できる。このため、アルツハイマー病の人の脳の神経細胞が壊れる過程を観察できるなど、重要な実験手段になっている。 日本人のノーベル化学賞の受賞は、6年前の田中耕一さんに続いて5人目で、ノーベル賞受賞者は下村氏で16人になる。




 一千兆分の1mという、電子顕微鏡でも見られない全ての最小単位の素粒子が従来3個といわれていたのが6個以上あると予言したという素粒子理論。全く庶民には理解不能。しかし、この理論が物質の存在、宇宙・ビッグバンの証明にもつながるという。こんな研究している先生は、世の中に全く関心が無いのじゃないかなぁ。
 一方、化学賞の下村氏は一家総出で1万匹のクラゲを捕ってその中から微量の蛍光たんぱく質を抽出したという。この物質をからだの中に入れると、外から動きが分かり、医療に多大な貢献をしたという。こちらはある程度分かりやすい。
 9日の夜にもノーベル文学賞に村上春樹氏といううわさもあったが、これは外れた。
 ノーベル賞は生存者が対象というから、どんな偉大な業績を遺しても死んでしまったらダメなわけだ。何十年も前の業績が対象となるので、非常に高齢になってもなんとか生きていなければならない。
 青色LEDの発明、カーボンナノチューブの発明など、日本人には候補がまだまだいる。これらが本格的に応用される時にまたノーベル賞の期待が。



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