草津宿場まつりの時代行列 2008/04/29



 毎年4月29日の祭日に草津では宿場まつりが行われる。前日の前夜祭はおごそかな薪能、狂言の他、各種コンサート。そして、本祭の29日には、多くのイベントがある。今年は飛び石連休だけど、うまく休む人は、連続10日も休むという。こちとら、そんなのには無縁、今日も午後勤務なので、多くは楽しめないが、とりあえず、恒例の時代行列だけでも。


屋台店やガマの油売りの路上パフォーマンスを見て、時代行列の途中に遭遇。


今年は殿様役には志垣太郎氏。


先回りして行列の先頭に。

向こうの方は東海道、こちらは中仙道に入ったところ。




「したにい、したにい」


こんなゆっくりで、和宮さんは江戸まで。行列の先頭から最後まで通過し終わるまで4日かかったという。


今日も京都の太秦撮影所の衣装が活躍。


中の人間は市内からの公募。


もうちょっと若かったら、エキストラに参加したいところ。

 NHK大河ドラマ「篤姫」に関連して今年は幕末ごろがブーム。草津の宿場では西から江戸への大名行列の通った大福帳に通過記録が残っていて、本陣、脇本陣で多くの資料展示がある。島津からの篤姫、京からの和宮、他に新撰組などの記帳なども興味深い。
 13代将軍家定の御台所となる篤姫は嘉永6年(1853)10月6日 薩州御姫様 御泊と記されている。篤姫は天璋院と称し、大奥の最高責任者として巨大権力を持つ。14代将軍家茂の御台所として京から来た和宮との確執も有名。
 公武合体を掲げ、幕府の維新をかけた豪華な行列となつた和宮の江戸への行列は、中心部だけでも750人、一行は二千人とも三千人ともいわれた大行列だったという。4年後家茂の死去により21歳で出家した和宮は静寛院と称し、徳川側として江戸城無血開城に活躍する。京都へ里帰りした静寛院は、徳川家からの再三の呼びかけで明治7年にようやく東京へ行くことになる。草津本陣の大福帳の最後がこの静寛院の一行となっている。13年前の何千人という大行列に対し、この時は合計16人だったという。和宮さんもかわいそうな一生。


昔の衣装は豪華だったんだなぁ。


当時の人たちの背丈は予想以上に低かった。


160cmもあったら、超大女だっただろう。


先がつかえてなかなか進まない。


ちゃんと、運動靴じゃないよ!


向こうから、やたらと陽気な声が。


おまちかねの殿様登場。


サービス精神いっぱいです。


おばちゃんたちのカメラにポーズ。



やっぱり、ヅラが似合う。







ええ男や。


今日の営業はいくらでしたか。





2006/4/29の宿場まつり

2004/4/29の宿場まつり

2003/4/29の宿場まつり


つれづれぐさページへ戻ります。



2008年のつれづれぐさへ