大興奮の大相撲 2008/01/27




大相撲初場所:白鵬、3場所連続6回目V…朝青龍を破り
大相撲初場所千秋楽は27日、東京・両国国技館で行われ、東横綱白鵬(22)=本名ムンフバト・ダバジャルガル、モンゴル出身、宮城野部屋=が結びの横綱同士の相星決戦で、2場所出場停止から復帰した朝青龍に上手投げで勝ち、14勝1敗で3場所連続6度目の優勝を果たした。

 今場所は、昨夏の巡業で休場届を出しながら、モンゴルでサッカーのイベントに参加して大騒動を起こした朝青龍が、3場所ぶりに出場して大きな注目を集めた。朝青龍不在の中で2場所連続優勝していた白鵬は、朝青龍の史上4位に並ぶ22度目の賜杯獲得を大熱戦の末に阻んで意地を見せ、初の3連覇を達成した。

 千秋楽相星決戦は、横綱同士では2002年秋場所の武蔵丸―貴乃花以来、外国勢同士の対決は初めてだった。

 今場所は朝青龍への関心の高さもあって客足が伸び、千秋楽を含め7日間が満員御礼となった。〔共同〕




大阪府知事選、橋下徹氏が当選・38歳、現職で最年少
 任期満了に伴う大阪府知事選は27日投票、即日開票され、無所属新人で弁護士、タレントの橋下徹氏(38)=自民府連推薦、公明府本部支持=が、元大阪大大学院教授の熊谷貞俊氏(63)=民主、社民、国民新推薦=、弁護士の梅田章二氏(57)=共産推薦=らを大差で退け、初当選した。現職知事では全国最年少。戦後通算でも3番目に若い知事が誕生した。

 投票率は48.95%で、過去最低だった2004年の前回選挙を8.46ポイント上回った。

 同知事選で国政の与野党第1党同士が激突したのは33年ぶり。同じ構図だった昨年11月の大阪市長選で敗れた自公は知名度抜群の橋下氏を推し、雪辱を果たした。内閣支持率低迷に悩む福田政権には追い風だ。道路財源の暫定税率を巡る国会攻防にも影響を与えそうだ。(27日 23:22)
27日投開票の大阪府知事選で、タレントで弁護士の橋下徹氏(38)=自民府連推薦、公明府本部支持=が初当選したのは、府民が未知数の手腕に賭けた結果とみられる。東京一極集中で多くの地方は低迷、大阪にも閉塞(へいそく)感が覆う。橋下氏の若さと行動力が府民の期待を集めた。一方、民主党が党を挙げて支援した元大阪大大学院教授の熊谷貞利氏(63)=民主、社民、国民新党推薦=の敗北は、都市部の民意をつかみきれない同党の弱点をさらすことになった。【坂口佳代、渡辺創】

  選挙    候補者   得票   得票率(%)

86年参院選 西川きよし 102万  25.4

92年参院選   〃     98万  30.0

95年知事選 横山ノック 163万  47.2

98年参院選 西川きよし 106万  25.8

99年知事選 横山ノック 235万  65.0

04年知事選 江本孟紀   67万  23.9




大阪国際女子マラソン:福士フラフラ 初マラソンは惨敗19位

ゴール後すぐに抱きかかえられる福士=長居陸上競技場で2008年1月27日、梅村直承撮影 “トラックの女王”が無残に散った。大阪国際女子マラソンは27日、大阪市の長居陸上競技場発着で行われ、北京五輪の代表選考会で初マラソンに臨んだ福士加代子(25=ワコール)は30キロから急激に失速。ゴールの長居陸上競技場手前で1度、トラックに入ってからも3度転倒するほどフラフラになり、2時間40分54秒の19位に終わった。本格的なマラソン練習を積まずに挑んだ初の42・195キロは、厳しさを痛感する結果となった。マーラ・ヤマウチ(34=英国)が2時間25分10秒で優勝した。

 元気いっぱいにスタートしたトラックの女王は終盤、悲劇の主人公に姿を変えていた。完全なスタミナ切れで足元がおぼつかず、何度も涙をぬぐうようなしぐさをした。長居陸上競技場を目前にした残り570メートルで転倒した福士は、トラックに入ってから残り300メートルで再び前のめりに倒れ込んだ。観衆が悲鳴を上げる中、残り170メートルでは転んで顔面から落ち、さらにゴール直5メートルでも転倒。五輪や世界選手権でもないのにフラフラの状態で完走したのは、女王の意地だったのか。そのまま医務室に消えると、大会事務局を通じてコメントを発表した。

 「30キロすぎで急に目や足に違和感を覚えた。長居陸上競技場が見えてからは頭の中が真っ白になり、全く記憶がない」

 序盤は快調だった。スタート後すぐに先頭に立ち、独走態勢。5キロを16分34秒、10キロを33分11秒と永山監督の指示を完ぺきに守った。野口みずきの大会記録2時間21分18秒に匹敵するハイペースも、トラックで日本最高のスピードを誇る福士にとっては余裕だった。だが、大阪城公園内の起伏で消耗し、30キロを前にペースダウン。30キロすぎに異変が起きた。永山監督によると、福士は「目の前が真っ暗になった」と説明したという。30キロ地点で2分2秒差あったマーラ・ヤマウチに34・6キロ地点で並ぶ間もなくかわされると、抵抗する力は残っていなかった。

 “福士流”の挑戦は、マラソンの常識の前にはね返された。準備期間はわずか1カ月、マラソン練習の定番である40キロ走は1回もなし。トラックの実績から招待選手の資格はあったが、レースに集中するため一般参加にこだわり、事前取材もシャットアウトして希望通りレースに集中できた。永山監督は「マラソンではもっと綿密な計画が必要だと感じた」と話したが、言い訳不要の惨敗だ。

 昨年のエチオピア合宿、世界選手権などでアフリカ選手との差を痛感。世界の舞台でメダルに近いのはマラソンと判断して42・195キロに挑んだが、待っていたのは厳しい現実だった。今後は本職のトラックで北京出場を狙うことになる。「(初マラソンは)おもしろかったかな、ハハハ…」と言葉を残して競技場を後にした福士。力ない笑みが、ダメージの大きさを物語っていた。

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