戦国の大津−天下統一の夢、坂本城・大津城・膳所城− 2007/10/28

大津歴史博物館



 関東では台風20号が襲来したとか。今までは台風といえば必ず沖縄→九州→関西と、キチンと日本列島に挨拶して行ったもの。これも異常気象の象徴、日本の真南から直接関東に上陸する。おかげでこちらは「そんなの関係ねえ」で、今日は雲ひとつ無いものすごい快晴である。


朝勤務明けを待ち遠しく感じながら、ようやく、京阪電車に乗る。


「別所」駅。


従来から思っていた。滋賀県の県庁所在地の大津の市役所がなぜ、こんな辺鄙なところに。


博物館の恒例の国友火縄銃実演。




見事な銃を持たせて・・・・


おっとっと、放すな。おおお重い・・・


かっこいいぞぉ


興味あるのはいいけど、のめりこまないでね。


残念ながら、実演は終わったところでした。


徳川家康が大坂城に打ち込んだという400年前の慶長大鉄砲。




ずっしり重い。もちろん、手で抱えて打つのでなく、据え置いて使用。


鉛の玉をこめて・・・


構えているところの撮影。




火縄です。


大津歴史博物館は夏のびわ湖大花火大会以来。


競艇場を望む。




信長、秀吉、家康たちの天下取りの夢の舞台になった近江の国ならではの貴重な展示を期待。



 16世紀末から17世紀初頭、3人の戦国武将が、大津の地に城を築きました。織田信長が元亀2年(1571)の山門焼き打ち後に坂本城を、豊臣秀吉が本能寺の変から数年を経た天正14年頃に大津城を、そして関ヶ原戦に勝利した徳川家康が慶長6年(1601)頃に膳所城を構えます。これら3城は、戦国乱世から天下統一へと向かう激動の時代を象徴する、日本の歴史上においても特筆される重要な城でした。本展では、いまだ謎の多いこれら3城の縄張りや城郭の構造および歴史的な役割を、発掘遺物や絵画資料、さまざまな文献や歴史資料などを紹介することによって明らかにします。

 重要文化財 豊臣秀吉画像 西教寺蔵

 焼け落ちた明智光秀の坂本城の遺稿、瓦などの発掘品。
大津城は取り壊されて建物は近江の各地の城へ移される。大津城の天守は彦根城の天守に。
湖面に映えた美しい膳所城天守も今は無い。
本能寺から発掘された瓦、伏見城、聚楽第から発掘した金箔瓦信長、秀吉、家康像、大田牛一の信長公記など、意外に多くの貴重な逸品を見ることができた。




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