彦根でルーツを訪ねる一日 2007/09/13



誰にもふるさとはある。母と姉二人の4人で大阪から彦根の母子住宅へ引っ越してきて、保育園、小学校、中学校、高校、会社通勤。その後栗東市に移るまで、彦根が自分のルーツである。一度は自分のルーツを訪ねてみたかった。


昨日は電撃的ニュースが日本中を駆け巡りあわただしい。次は誰が?


彦根駅前で自転車をレンタルする。これから50年もの想い出を求めて彦根中を走り回るつもり。



徳川譜代の井伊氏の城は生涯の心の城に。




大変貌を遂げた本町周辺。道は広くなり、当時の商店街は全て昔の外観に。
今は、「本町キャッスルロード」と名を変えた。



右、宋安寺。赤門と呼んだ。


その前に散髪屋。外観は完全に変貌したが、ここをいつも利用した。


毎日買い物をした「四番町市場街」。ここも完全にリセット。


毎日の生活用品、食料などは市場街で仕入れた。


店の名前はそれぞれ残っていて、完全な変貌。


しゃれたグルメ、高級ステーキハウスなど。時代は大きく変わった。


当時の自宅への道。芹川へ。


池洲橋は幅が3〜4倍に。


橋上から芹川を。これは変わらず。


バスの時はここで降りて歩いた。


芹川堤から左へ少し坂を下りると。


ここに当時は母子住宅があった。5軒分の長屋が3棟だったと思う。
中央白い向こう向きトラックのあたりに自宅があった。



旧自宅付近から芹川堤を見る。


堤からは彦根城天守、右に雄大な伊吹山が見えた。


望遠で拡大すると。


毎日、天守を見て通学、通勤した。


小学校への通学路をなぞってみる。


この中藪橋もコンクリートになったが、当時は木橋で台風で橋上まで水が来て何度か流されたものだ。


通学時、毎日通った白山神社。


ああ、懐かしい。


小学校への細い道も健在。周辺の家は変わったが。


ここが「彦根市立金城小学校」のあった場所。今は住宅団地。


小学校の水泳大会は長曽根水泳場。毎年「鳥人間コンテスト」がある松原水泳場を望む。


船が来ると手回し回転させる回転橋も今は固定の橋に。






天守を見ながら。


堀をめぐる遊覧船。


「彦根市立西中学校」も大きく変貌。


卒業の翌年に吉永小百合の映画「青い山脈」がここでロケ。


ここを通学したんだ。


彦根の古い町並みから。


あちこちに残る。


彦根地方気象台。当時は測候所と言っていたと思う。


「探偵ナイトスクープ」などでおなじみだった「お天気おじさん」故福井敏雄さんはここの出身。


測候所の前に。


「彦根西保育園」だった。今は保育園でないが、ひょっとしたら建物は当時のまま?。


なぜか、ここでの運動会など、覚えている。


先へ行くと、天神さん。


お祭りの夜店に、少しの小遣いを持って、毎回楽しみに。


レンタサイクルです。




さて、次は、高校への道。


高校へは少し遠めのため、自転車通学。


このあたりは、仏壇工場ばかり。


高校が終わると、毎日、新聞配達したコースでもあった。


クネクネと曲がる道路で「七曲がり」とも呼ばれる。


JR沼波踏み切り。新聞配達途中での人身事故を見たのは今でも脳裏に焼きついている。


近江鉄道の彦根口駅。電車通学の連中には想い出深い。


彦根工業高校」も引越しして、跡地に、別の高校が。


りっぱな木造校舎があったのに、もったいないなあ。




彦根球場。野球のときは、母が貸し蓆で働いていたとき、何度も来た。


高校時代の時に建造された佐和口多聞櫓。
石垣だけだったところに、ブロック積みが始まり、何ができるのかと思っていた。



昭和38年(1963)NHK最初の大河ドラマ「花の生涯」。


高校在学中の放送。幕末の大老井伊直弼の生涯の物語。


この赤い旗ももう少しの間。


さて、当時は大いに賑やかだった彦根の銀座街。


真昼間なのに、殆どが閉鎖のシャッター街。


もっとも中心だった、マルビシ百貨店が、なんと、100円ショップとは!!


文房具屋、おもちゃ屋、本屋など、なじみの名前は健在だが。
ここの平和堂が、平和堂の発祥の店。



久左の辻。ここにも大手スーパーがあったが・・・・・


このおもちゃ屋にも多くの想い出がある。


いろいろ、胸にせまるものもあった。

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