3週間のホテル生活を楽しむ 2006/06/13〜07/04



家系に、特に病気の系統は無いようなのは、親に感謝せねばならない。
50代に入ってから、自分の唯一の持病として、「糖尿病」をいただいた。理想の身長/体重で外見からは糖尿病なんて、全く縁が無いと人はいう。これも自分の不摂生から招いたこと。自分の責任ではある。
まあ、一病息災というように、何かひとつ病気を持っている方が自分の体を大事にするというので、これも思し召しと思いたい。今回、3週間の糖尿病入院の記録を、自分への戒めとして残しておきたい。

そもそも、入院のきっかけ。
会社の健康診断により、平成5年に滋賀県病院に1ヶ月の糖尿病教育入院。いっしょに入院した4人は今、どうしているだろうな。このときの血糖値は境界型といわれる程度で、4人の中で、自分はもっとも軽度だった。ビデオを見せられ、毎食ごとにごはんの量を計り、血糖値を測る。散歩の前後で脈拍をお互いに測りあう。このときの教育なんてきれいさっぱり忘れてしまっている。親にも糖尿病の系統は無い。30代40代時の猛烈な仕事(徹夜、ストレス)が原因であることは疑う余地は無い。昭和60年(あの日航機御巣鷹山墜落事故の年)の三島への半年の長期出張時に10kg太り、腹がかなり出ていたことを覚えている。三島のおいしい魚、食欲、そして、むちゃくちゃな仕事の毎日。最初のFA(工場オートメーション)の仕事だった。この時が糖尿病の始まりであったことは間違いない。平成7年から東京単身赴任時営業、企画開発見積もり、納品などの激職、ストレス。そして、社内産業医から順天堂浦安病院を勧められ、平成11年からついに投薬が始まる。(薬の種類も、ベイスン、グリミクロン、オイグルコン、アクトスといろいろ変わる。)
平成13年に単身赴任が終わって近くの診療所に変わっても毎月採血・投薬を続けてきた。投薬7年になる。
HbA1cは6台〜7台前後で落ち着いていたが、今年に入って8台、そして、5月に遂に9を超え、「これは大変」となった。会社の問診でも、「通院していて8台が続くなんて考えられない」と言われていたこともあり、いつもの診療所で精密検査して欲しいと紹介状を書いてもらい、6月7日に滋賀医大病院に。その場で、現在の状態を検査とのことで採血をし、HbA1cは先月よりも更に高い9台。「いつから入院できますか?」「えぇぇぇーー。先生、入院なんて、思ってもみません。仕事はどうしましょう。」「今、入院しないととんでもないことになりますよ。自分の親なら首に縄つけても入院させます」と若い医者。入院して薬からインスリン注射で様子を見る必要がある。テレビでT型糖尿病の人が常時インスリン注射が欠かせないなどを見ていたが、なぜ、U型の自分がインスリン注射を?と考え込んでしまう。 長い間、薬ですい臓に鞭打ってインスリンを出させてきたのがついに、すい臓が疲れてしまい、どんなに薬でがんばらせても「もうインスリンを出せません。かんべんして」と、すい臓が悲鳴を発するまでになっていたということ。
落ち込んで病院をあとに・・・。その日に会社へ連絡、自分の替わりを探してもらわねばならない。とにかく、6/12まで仕事をして13日から入院となった。

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滋賀医科大学附属病院
 

6/13(火)
前日、衣類などは家内が準備をしてくれた。洗面器、急須、コップなど殆どの用具は当節100円ショップでそろえられる。入院受付で早速、左腕にリストバンドが。これでこの病院暮らしが確定。数年前、まだリストバンドが普及していなかった当時、患者を誤認して手術や点滴を間違えた事件が多発。このリストバンドシステムを関東で営業していた当時を思い出す。まさか、自分がつけられるとは・・・



C棟6階の610室の4人部屋で、窓からは東レの赤白エントツ、プリンスホテル、比叡山などすばらしい眺望で、スィートルームなみ。夏の琵琶湖花火大会の特等席らしい。

<下の世話が必要で歩行できない人>、<右足の先半分を切断・透析・入院4ヶ月の人>、<少し重症入院2週間めの人>が610号室の先住民。

 
午後 血圧脈流波検査(両手両足に同時に圧力をかけて血管の状態を検査)、心電図、レントゲン

7年間続けてきた薬を中止。1日6回、自分で血糖を調べる。指にパチンと針をあて、血を絞り出しセンサーで測定する。朝食前、朝食後、昼食前、昼食後、夕食前、就寝前。




6/14(水)
昼食前からインスリン注射となり、やり方を聞く。腹部をつまんで針をグサリ。全く痛くないのに驚き。昔は針が太く注射の痛さは苦痛だったろう。血糖値測定の指パチンの方は痛い。なんと、食後血糖値が119に。昨日の食後が250だから、驚き。

 左側が血糖値測定、右側がインスリン注射

インスリンは昼間の食事直前は「ラピッドタイプ:即効型」といって、投入直後の短時間だけ効くもの。つまり、投入後直ちに食べないと低血糖を起こす。就寝前のタイプは「N:中間型」といって、ゆったりと効くタイプの2種。
朝食前、昼食前、夕食前の3回が即効型、就寝前の1回が中間型。単位は4,4,4,4Nで始まった。



6/15(木)
血糖値のパターンを毎日調べ、インスリンの単位を調整していくため、長い期間様子を見る必要があるわけだ。自分は朝、夜が血糖値が高いようだ。室内のOさんと病院まわりを散歩。県立図書館、近代美術館まで約15分。毎日の血糖値測定、インスリン注射、そして食事の決められた時間以外は何をしても自由。むしろ、どんどん歩いて運動をすることを薦めている。病院玄関の水補給器でペットボトルに水を入れ、常時携帯、時々水をしっかり飲む。今まではハイキングなどでよく歩いたが、水の補給はあまりしていなかった。そして、外出時、必ず注意を受けるのが「砂糖を持っていますか?」。インスリン投入により、低血糖症状が起きた時、緊急に砂糖を供給する必要がある。低血糖症状は「ヒドイ手と腹」と覚える。つまり、<ヒや汗、ドうき、イらいら、手のふるえ、腹すき>だそうだ。就寝中の低血糖用としては、カロリーメイトを食べることを薦められ売店で購入。
眼科で眼底検査を受ける。異常無し。

 6階からの眺め

 増築中



6/16(金)
心電図関連で循環器内科に呼ばれ、心臓関係の問診を受ける。
毎日の食事は「エネルギーコントロール食」、確かに、「えぇー、これで?」であるが、日ごろ小食に慣らしてきたこともあり、それほど苦にはならない。朝食にはパンに甘いジャムまでついてくる。とにかく、全ておいしく、完食の毎日。インスリンの単位は、4,4,6,6Nに変わる。土曜、日曜は検査などは無く、入院患者には暇な一日。自分で血糖測定、インスリン注射ができるので外泊自由ということで、願いを出し、必要な器材を借りて外泊することにした。



6/17(土)、6/18(日)
二日で映画を2本見る。映画の最中に血糖値測定、インスリン注射の時間帯になったりすると調整がめんどう。病院の食事のようにはいかないが、なんとか注意して食べ過ぎないようメニューを選ぶ。それでも、やっぱりボリュームは多い。このあたりが退院後の問題かな。
サッカーはクロアチアと0−0のドロー。首の皮一枚で、24日のブラジルとの決戦へ。



6/19(月)
循環器内科から呼び出され、心臓関連の検査。トレッドミルといって、胸に10個の電極、腕に血圧測定を巻き、動くベルトコンベアの上を歩く。コンベアの速度が3段階に変化。日ごろ早足で歩いていることもあり、問題無し。夜の血糖が高いようで、インスリンの単位は、6,4,8,6Nに変わる。



6/20(火)
入院一週間め。本日は特に何も無し。文化ゾーンのバス停まで2往復した。翌日の食事が約10種類の献立から選択でき、昨日、ステーキを選択したのだが、確かに、おいしいステーキが来たが、ほんの一切れ?のようなもの。



6/21(水)
10時にOさんが退院。ちょうど3週間め。糖尿病入院のパターンとして、全て3週間のようだ。これで、610号室は一人になった。完全個室だ。まあ、そのうち、誰か入ってくるだろう。しかし、個室も結構空きの状態。循環器科で心臓エコー検査を受ける。インスリンの単位は、6,6,10,6Nに変わる。
糖尿病講座第1日め「糖尿病とは」
合併症は「シ・メ・ジ」神経障害、目の網膜障害、腎臓障害。



6/22(木)
糖尿病講座第2日め「運動療法について」
「基本代謝」とは、人間が最低生きていく(内臓の動作、立っているだけなど)のに必要な熱量。
入院なんて、あまり縁が無いことで、病院の入院生活について書いておこう。
看護師さんは殆ど女性(20代のかわいいギャル)。もともと看護婦さんと呼ばれていた(スチュアーデス→キャリアアテンタント)と同様、女性の仕事に男性も含まれるようになって呼び名が変わった。担当医は殆ど男性(これも20〜30代のイケメン)、そして主治医。週に1回教授の回診がある。まさに、白い巨塔の世界。自分はもっとも軽度の入院患者で看護師さんたちのお世話にならなくて済んでいるが、それにしても、じいさんばあさんのしもの世話から、何から何まで親切に声をかけ、ていねいに仕事する彼女たち。深夜でも採血、点検、そして頻繁に鳴るナースコール。どんな教育を受けているのだろう。これが仕事だといえばそれまでだが、頭が下がるし、彼女たちが天使に見えてくる。彼女たちにもものすごいストレスがあるはずだ。



6/23(金)
早朝4時に起きて、W杯サッカーを見る。負けた。トーナメント進出ならず。対ブラジルだから負けるのは当然ながら、先制点をとっただけに残念。
糖尿病講座第3日め「食事療法について」
体重、身長から、一日何kcalの食事をとればいいか。油ものは控える、毎日買っていたコンビニ弁当がいかに問題があったかを聞く。豆腐でも脂肪は多い、いかに野菜を多く採るか。
循環器内科にて、トレッドミル、心臓エコーの結果、特に異常無しとの回答あった。夕食を食べてから外泊。



6/24(土)、6/25(日)
土曜日はいい天気のため、京都へ。昼食は刺身定食としたが、やはり量は多いかな。インスリン注射も人前で平気でできるようになった。食後の血糖測定がどうしても遅れる。帰りに職場へ寄ってみる。
日曜日は一日雨のため、自宅にて。運動不足気味。まあ、土曜日に大いに歩いたから。夕食前に病院に戻る。



6/26(月)
糖尿病講座第4日め「日常生活の注意点、歯科について、薬物療法について」
「シックデイ」とは、糖尿病患者が糖尿病以外の病気になること。高血糖を起こす。吐き気などの後は今度は低血糖を起こす。やっかいな病気。
食事ができなくてもインスリン注射は止めないこと→低血糖も注意。
薬、インスリンは常時手放さないこと。海外旅行でも必ず手荷物に含めること。飛行機の預け荷物は気温が急激に下がってインスリンが一時凍結することがあり、その後解凍されてもインスリンがダメになっていることに気がつかない。旅行には糖尿病手帳・カードの携帯は必須。歯周病に注意。半年ごとには歯科へ行くこと。
薬の各種類と目的、インスリンの種類と効果など。なかなか参考になった。
低血糖発症時は砂糖10g。ぶどう糖がもっとも良い。甘い缶ジュースも可。夜の低血糖発症時は「カロリーメイト」を食べること。
先生から、インスリン注射は苦にならないかと聞かれる。「現時点の血糖値の動きでは、100%薬に戻すより、まだインスリン注射で血糖コントロールした方がいいように思う。薬かインスリンか、微妙なところ」と。「インスリン注射は苦になっていない。一番良い方法でお願いします」と答えた。朝晩にインスリン、昼は薬などの方法も検討するとのこと。
この2日間、雨続き。病院内の階段、廊下を歩く。



6/27(火)
糖尿病講座第5日め(最終日)「フットケアについて」
神経障害は足から。特別に、「足病変」についての講義。村田英雄やエノケンのように糖尿病で足が腐る(壊疽)を起こし切断に至ることも。足病変を防ぐため、日常の足の観察、足を清潔に、靴の選び方、爪の切り方など。最後に、実際に足の洗い方の実習まで。糖尿病講座の5日間は実際に関係しているから非常にためになった。日ごろの過ごし方、ベロ(舌)の磨き方、足の洗い方まで教えてくれるとは思わなかった。つまり、糖尿病は全ての病気の元であるということなのか。
職場の3人が見舞いに来てくれた。2階喫茶店で話が弾む。みんな、糖尿病には注意。

15時すぎのCT検査予約のため、昼食は時刻ズレさせられている。15時30分に放射線検査にてCT検査。腹部、骨盤部分をCTでスキャンする。初体験。テレビや映画で見ているあの、巨大装置。何億円以上するんだろう。検査はあっという間に終わったが、ゴォーという音とともに、寝たまま穴の中を移動。まるで原子炉の中を通る緊張感。昼食は16時前。インスリン注射は無し。「検査後軽食」として、パン、桃ゼリー、牛乳だけ。夕食は変わらず18時。朝に続いてまた歩く。21時の血糖値は304!。やはり、インスリン無しと不規則な食事が原因か。今後、気をつけねば。
病室は貸切になったのは数日だけでその後、毎日のように退院、入院がある。土日に不在の間に新規の住人もおられる状態。みなさん糖尿病では無いようで救急患者が中心で数日で退院されていかれる。糖尿病はいったん退院しても、また戻ってくる人が多いようで、先生や看護師さんと顔なじみの人も。「あら、XXさん、また来たの?」。



6/28(水)
16時に昨日に続いてCT検査。今日は胸部の検査。昨日とは違うメーカー(昨日は東芝、今日はシーメンス)。ここには3台あるとか。他にMRI装置も数台あるそうだ。
昨日のCTの結果、特に問題は無し。ただ、少し前立腺肥大が見られるとか。
何気なく、隣の部屋の番号を見ていて初めて気づく。ここは610号室、隣は611号室まではよいが、もう一方の隣が608号室。あれっ609号室ではないの?。看護師さんに聞くと、全病棟に4と9は無いんだそう。へぇー、近代的病院でも縁起をかつぐのかと・・・。



6/29(木)
「血糖値コントロールは順調、いつでも退院していいですよ」と先生。「昔の生命保険なので、入院保険金は21日以上入院しないと出ないとのことで、もう少し居させてください」と言ったら苦笑された。「もちろん、何日でもどうぞ。長期間ほど、体は改善されます。何もせず、長期間の病院食だけで改善される人もいます」とか。来週7/4(火曜日)に退院と決定。「インスリン注射が苦痛でなければ、とりあえず、薬に戻さず、インスリンで様子を見ましょう。」と。様子を見て今後を考えればいい。
15時に個人栄養指導。昔は「ごはんを少なく、おかずをもっと食べなさい」という教育だった。今は「、もっとごはんを食べておかずを控えること」と方針が変わっている。毎日の朝、昼、夕について、どのようなパターンが良いのかを具体的に聞くことができた。果物は朝だけにすること。甘いもの、果物をどうしても食べたいのなら、朝まで残しておいて、朝食べなさいと。パンにマーガリンよりも甘くてもジャムの方が良いこと。夕食は少なめに。野菜をもっと食べること。コンビニ弁当でも、レディス向けのサイズにサラダやもずくを一品で良い。



6/30(金)
泌尿器科にて、前立腺検査。PSA値が高いとのこと。尿のにごりについても新規に薬が出ることになった。退院ギリギリで、月曜日にもうひとつ検査が入った。
昼食後2時間(14時)の血糖値が77。新記録というより、これは低血糖では無いのか。今まで食前でもこんなに低くは無かった。この状態で散歩すると危険。念のため15時に測ると85。まあ、持ち直し。まだ低血糖の経験は無い。先生から、入院中に経験しておくと良かったんですけどね。人それぞれ、低血糖の症状は違うらしい。自分の低血糖症状は?。



7/1(土)、7/2(日)
土曜日は、いろいろたまっていた仕事を片づけて、一日家にいる。歩いていない。
日曜日は京都へ。夕食後、「別荘」へ戻る。
夕食後の血糖値が77。これから就寝前に更にインスリン中間型を投入するが、大丈夫か?。現在最もインスリンが効いている時間帯なので、就寝前にもう一度血糖値を測定してから考えましょう」と。果たして、就寝前は83。ここでインスリン注射すると、低血糖になる可能性が高い。カロリーメイトを食べてからインスリン注射をしてください。ようやく、買ってあったカロリーメイトの出番。どんな味がするか、楽しみだった。



1片が100kcalになっているという。食べてからインスリン6N。「一時間後に再度血糖値測定。124、良かった。
滋賀県知事選挙。現職が負け、女性知事誕生!!。環境知事。より美しい滋賀を実現してくれるか。



7/3(月)
前立腺検査の生検。体から一部組織を切り取って、悪い物(癌など?)が無いかの検査をするという。昼食は遅らされ、14時から点滴を開始。糖尿病にかかっている人はキズが化膿したりして危険なんだそう。点滴は止血剤と抗菌剤みたい。点滴をぶらさげた車を押しながら移動するのは初めて。14時半に泌尿器科にて。肛門から針をつっこんで、パチンと組織を切り取る。8回。それほど痛くは無いが、気味が悪い。先生が、「稀に熱を出したり重い症状になる人がいます」とあらかじめ話してくれるがよけい不気味。とりあえず、無事に終わり。病室まで、看護師さんが車椅子で運んでくれる。車椅子も初体験。ラクチン。
昼食は17時。インスリン無しで。化膿止めの薬など追加。18時にいつも通りの夕食。今日から、インスリンが6,6,8,6Nにと夕食前が10→8になっただけに、食後の血糖値の予想は恐ろしい。→果たして、388をたたき出した!。新記録。

 なさけなや、点滴の図



7/4(火)
朝食後、抜け出し、仕事関連。昼食前に戻る。
午後退院。リストバンドが切られる。これでチェックアウト。3週間のホテル住まいはそれなりに快適。病院のスタッフはこれ以上無いほど親切。不満は全く無かった。この歳になると、入院のお世話になる人も結構いるだろう。縁の無かった人も、ぜひ、体の総点検に。今回、糖尿病をきっかけながら、体中の検査をし、リフレッシュと自分の弱点を確認できた。食事前のインスリン注射、食事後の血糖値測定は習慣となったが、合併症発症に至る直前の防止策として、ありがたいこれからである。



 


糖尿病食サンプル
病院での食事を記録してみた。1500〜1600kcal/日として、非常に参考になるだろう。

朝食

昼食

夕食


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