高台寺、京都絞り工芸館 2006/06/24



夏のような暑さの中、京都高台寺へ。絵を描く高校の同級生が高台寺の絵巻を担当したとのことで、拝見に。


高台寺は春の桜見物以来。




東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。寛永元年(1624)7月、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なったので、寺観は壮麗をきわめたという。しかし寛政元年(1789)以後、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失い、現在残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で国の重要文化財に指定されている。
尚、豊臣秀吉夫人(北政所)は天正16年(1588)に従一位に序せられ慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を賜り寛永元年(1624)9月6日、76才で亡くなられた。




本堂内で、「百鬼夜行」展。丸山応挙の幽霊をはじめ、友人が描いた絵巻も。
なかなか、ユーモラスで楽しい絵巻物だった。





霊屋内陣は公開中。




扉が開かれ、右に秀吉、左に北政所の像。


北政所は片膝立ての座り方。当時は、この座り方が正式だったそうだ。
北政所の像の下には本物の遺骸が埋葬されている。








京都絞り工芸館は初めての訪問。


バス「堀川御池」で降りるとすぐ。


京都絞りの工場で多くの名画を再現したという。



北斎の「富嶽三十六景」、ダビンチの「モナリザ」、「最後の晩餐」など、見事なもの。


今は絞りの需要が激減、職人さんの危機。いっしょうけんめい説明してくださる。
プラスチックの容器が登場以来、染める桶を作る職人さんもいない。
水分を含んで桶が締まる、麻ひもが縮むなどの原理で自然に力がかかるという。



絞りの原理を聞くとなかなかおもしろい。紙芯を入れて糸で縛って、そこが染まらないようにする。


雑誌などでも紹介され、見物に来る人が増えたという。


絞りでしか表現できない美しさ。それにしても、あの工程でこれだけの絵を実現する作業は想像を絶する。


採算度外視の職人たちの意地??


紅白歌合戦で都はるみが総絞りの着物を着て出演など昔のはなし。絞り職人にはつらい現実。
和装はもちろん、多くの洋装関連にも絞りの製品を工夫している。



作品の絵はがきを購入、スキャナで取り込んでみた。










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