福山城 2006/01/08



今年最初の青春18切符一人旅。


今回も、ネットオークションで最後の1回分を購入。
例のごとく、いろいろロマンを感じる。
1枚11500円で5回分使えるが、1回使うたびに、「あとn回分」ということで売りに出すわけだ。使うとまた、「あとn回分」と売りに出す。1枚の切符が日本中を旅していることが、スタンプで分かる。
この切符では、12/10に渋谷駅、12/12に坂出駅、12/20に有楽町駅、1/3に岐阜駅のスタンプが押されている。


今回は、福山〜鞆の浦にした。
8時11分に草津を出発、例のごとく、相生まで新快速で快適だが、相生から岡山までの1時間は本当に大変。
各駅停車の上、便が少なく、満員のため今回も立ちっぱなし。


ようやく福山に着いたのが12時半。まず駅構内で昼食を。さすが、どの店も魅力的な魚料理が!。


真鯛の兜煮が日替わり定食とは?。1300円は安い。


福山駅北口がすぐ福山城。


福山城は、徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代大名の水野勝成が1619年(元和5年)に備後10万石の領主として、入府し築いた城です。
 伏見櫓は、1622年(元和8年)築城の際に、京都伏見城の「松の丸東やぐら」であった遺構を徳川秀忠が移建させたものです。白壁三層の豪華な姿に桃山時代の気風が伺えます。
 歴代の藩主は、水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と続き廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心になっていました。
 1873年(明治6年)に廃城となり、多くの城の建物が取り壊されました。1945年(昭和20年)8月の空襲により、天守閣と御湯殿は焼失しましたが、1966年(昭和41年)の秋に市制50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復原されました。
 現存する伏見櫓、筋鉄御門(すじがねごもん)は、国の重要文化財に指定されています。福山城は、江戸時代建築の最後の最も完成された名城としてたたえられていました。








中は博物館。鉄筋コンクリートなのに、エレベータではなく、階段。足の不自由な人には利用できないよね。


福山市内を一望できる。


城のすぐ前が駅。新幹線から天守がものすごく大きく見える。






















城内にネコが多かった。


家を出て来る時は寒く、道中雪にでもみまわれるかと、かなり厚着の重装備で来たが、快晴の青空でぽかぽかの日よりで最近に珍しく暖かい。
いや、これが瀬戸内の気候なのか。福山城を歩いたところでかなり汗をかき、2枚も服を脱ぐことになった。
しかし、このリュックではそのかさばる分厚い服を収容できず、これから2日間、リュックを背負った上に服を手に持つことなんて考えられず、福山駅前のデパートで、ひとまわり大きなリュックを1000円で購入。つまり、このリュックに背負ってきたリュックをまるごと納め、空いたスペースに綿入れのゴワゴワ防寒着がすっぽり入った。


次 福禅寺対潮楼へ 

福山城・鞆の浦・「男たちの大和」ロケ地・広島城メニューへ 


つれづれぐさページへ戻ります。



2006年のつれづれぐさへ