京都長楽寺で建礼門院を想う 2005/05/08



昨年のNHK大河ドラマは「新撰組」、今年は「義経」と、時代劇であれば、必ずといっていいほど京都が舞台として関係してくる。平家物語の中心、安徳天皇の母である建礼門院にゆかりの長楽寺を訪ねた。


円山公園の奥へ。


もともと、丸山公園の殆どは長楽寺の寺域だったという。


伝教大師を開祖として延暦24年(805年)に創建。


今年で創建以来1200年になる。


庭園と紙人形展示を見る。




紅葉の時期に再訪したい。


相阿弥作という庭園。緑が映える。今日は、カメラが今ひとつで。



馬場眞由美氏の紙人形







29歳の彼女、子供(天皇)が母(平時子)とともに入水したのを見て、どんな気持ちだったろう。
熊手で引き上げられるとは、悲惨。






建礼門院と安徳天皇








本堂に入る。
創建1200年として、特別に秘仏のご開帳。普段のご開帳は天皇即位の年だけとか。
次は100年後?、もしくは、次の天皇即位時。
布袋尊像、一遍上人尊像なども。


建礼門院 十三重御塔
(長楽寺ホームページから)
この御塔は、古来、長楽寺山山腹八丁台と呼ぶ形勝の地に建ち(明治初年堂側の現地に移す)、建礼門院が御髪をおろされた名残の御髪塔(ごはっとう)である。又、読み物系平家物語に、女院は鷲尾において遷化されたとも、又、鷲尾に御遺骨を納めたとも伝わり、その鷲尾こそ、当寺の旧称『鷲尾山長楽寺』から由来することを考えると、この御塔は、女院の御舎利塔とも拝されるのである。


収蔵庫

寺宝の安徳天皇御影、安徳天皇御幡箱などを直に鑑賞。


建礼門院御影像
(写真、文は長楽寺ホームページから)
この御影は、わずか八歳で悲運な最後をとげられた幼帝安徳天皇の御遺徳をしのぶ貴重な資料といえる。現在、当寺に伝わる御影は、前住職の時代に渡辺拍舟画伯によって模写されたものであるが、その原画は泉涌寺におさめられ、軸の裏書には、筆者『宅間法眼』(平安時代の似せ絵(肖像画)師の家柄であった)と記し、又、『長楽寺什物』と記され、かつては当寺に祭られていたものであることが窺われる。

建礼門院御影像 赤外線写真
(写真、文は長楽寺ホームページから)
当寺で出家された建礼門院は、時に御歳29歳。そのときの御影が当寺に保存されている。当時、敵軍に捕われた建礼門院は、約1ヵ月後に京に帰還したが源氏方の目は厳しく、この御影も源氏方の目を逃れる為、当時は表面を墨で覆い隠し祭られていたと伝えられる。建礼門院の御影の古いものはほかに類をみず、貴重な資料とされている。

裏山の墓所

水戸の浪士など尊皇攘夷派が眠っている。






頼山陽の墓



三年阪、高台寺前を散策

新旧タクシーの競争?



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