夢とロマンあふれる中国ふれあいの旅 1992/07/25-30



7月25日 出発 北京第1日
 朝6時すぎに集合所へ。
 町長、教育長などの壮行の挨拶を受け、いよいよ、栗東町主催、文化財探訪「夢とロマンあふれる中国ふれあいの旅」はスタートした。
 6月の集合説明会で、そのメンバ32名のうち、お年寄りが多いのに驚いた。私などは若い方だ。しかし、炎天下で、まる1日草引きなどの農作業も平気という今のご老人、我々とは鍛え方が違う。みなさん、毎回参加されている方が多く、初参加の私夫婦と違い、海外旅行の経験も多く、旅慣れておられる。
 バスで大阪国際空港まで、わずか1時間というスムーズさ。出発まで3時間あまりの余裕。夏のバカンスのスタートとあって、国際線はものすごい混雑。
 3時間で、BEIJIN(北京)到着。東京出張ぐらいの時間だ。
 荷物を待つが、なかなか来ない。周囲の広告、看板、会話は全部漢字、中国語。
税関の職員はみんな20代ぐらいの若い子ら。日本人と顔が同じのため、区別がつかない。
しゃべるとはじめて中国人と分かる。
 空港から暑い外へ出た。
 北京首都空港は現在大規模な工事中。
 市内観光バスは、NISSANの中古。車は殆ど日本製とか。
 ガイドさんの紹介。全行程を担当してくれる劉(りゅう)さん(西安から来た)。
北京内の担当の閣(えん)さん。そして、ビデオ、スチールカメラの女の子2人。19才前後の可愛い子。
 空港から北京市内まで、高速道路の工事中に沿って、並木道を走る。道の両側にプラタナスとポプラが延々と続き、美しく気持ちがいい。
 バスが市内に近づくに従い高層ビルが増える。途中で、松下電器の工場を見る。
PANASONICのお馴染みの大きな看板。テレビ生産で5年前にスタート、生産が追いつかず、増設工事中。今回の旅行でも、日本などとの合弁会社が北京、西安、上海でも多く見られた。膨大な人口は巨大な消費を生む。
 そして圧倒的な自転車の洪水・・・。
 北京の都市部で700万人、自転車が730万台という。人間よりも多い!。通勤は地下鉄、乗合バスがあるそうだが、常に満員で座れないとか。地下鉄、乗合バスとも、今は内部温度は50度を越えるそうだ。1平方メートルに26人の詰め込みらしい。地獄である。自転車は、確実に[座れる]訳である。「どんなに速くても自転車」という中国の人は毎日が体力訓練。
 天安門広場をバスの中から見て、故宮(紫禁城)へ。掘の水に動力船を浮かべ、アベックが楽しそうに遊んでいる。社会主義の国でもこんな風景が見られるのか。
 故宮は、巨大、華麗。映画「ラストエンペラー」の一場面を思いだしながら、明、清の合計500年の皇帝の歴史を感じる。映画のラストシーンにもあったが、この壮大な皇帝の所有物が今は、観光地として、民間に開放されている。日本の侵略、文化大革命、玉座:コオロギ:最後の皇帝<溥儀>の無念を思う。石畳は相当荒れており、いたるところ修理工事中。大理石の彫り物の壇、美しい屋根、赤い堂々の壁。大和門、大和殿、中和殿、保和殿、西太后の乾清宮・・・と一直線に歩いて1Km。いったいどこまでこの建物群は続くのか。全部で部屋数は9000を越えるという。16mの大理石に龍の彫り物の石畳の見事さ。数え切れない赤いいらかの重なり。時間不足もあり、故宮博物館の宝物を見られなかったのは、本当に残念。蒋介石がいいものは殆ど台湾(中華民国)へ持ち去ったというが、まだまだすばらしい物が残されているという。
 続いて、天壇公園へ。白い大理石の基壇の上の、高さ38mの3層の丸い屋根を持つ円錐形の建物。濃いブルーの琉瑠瓦、金、緑の独特の美しさ。内部もまた美しい。
日本の東大寺などのお寺も中国の由来で、昔は極彩色に塗られていたのである。
日本は色が落ちてもそのままの姿を尊重するが、ここでは定期的に塗りなおしているようだ。
 トイレのカルチャーショック。観光客用には、ところどころで問題の無いトイレを教えてくれるが、途中で一般のトイレに入った時は、ドアも何も無いところで、数人もの先客がズボンをおろしてしゃがんでいるのを見て、悲鳴とともに飛び出してくることになる。女子トイレも同様。
 日本とは1時間の時差ながら、そろそろ暗くなり始めた7時前に夕食へ。北京料理のフルコース。緑の瓶に入った「青島ビール」も「ハイネケン」風で、結構いける。
 ジャスミン茶も初体験。石鹸の味?と思ったら、逆に私がジャスミンの香り入りの石鹸をいつも使っているのだった。ウーロン茶には慣れているが、香りの高いジャスミン茶は少し薄めがいいのかもしれない。8時過ぎに最初のホテル「友誼賽館」へ。
北京最大の平面積を持つホテルとか。
 ホテルのテレビは歌、漫才(日本とそっくり)、ドラマ、コマーシャルありで日本と少しも変わらない。ただ、中国語であるだけ。チャンネルは多くない。日本のNHKがそのまま映るのには驚いた。これによって日本の情報を中国の人は自由に吸収しているのか。



7月26日 北京第2日
 昨夜は、深夜にバルセロナオリンピック開会式があり、早朝のホテルのテレビはそのニュースで持ちきり。ついでに、今日は、日本では参議院議員選挙投票日。
 朝食は、ホテル内の専用食堂にて。漬物のようなもの。そばのような、そうめんのようなもの。ムシパンのようなもの。
 ホテル内のMoneyChangerで、とりあえず2万円を交換。1元が25円だが、814.55元をもらった。妥換券。サイズが大小、そして、カラフルできれいな新札。
札の上には、「園」となっているがげんと読むのか?よく分からない。
「園」の下が「角」で、「角」の下が「分」となるようだ。いちばん小さい1分札は子どものおもちゃのようなお札。中国の一般の人が使うのは、人民券で、われわれ外国人観光旅行者が使うのは妥挽券と呼ばれる。みやげものを買う時はおつりを人民券でくれることがあり、注意。人民券は、帰国前に日本円に戻せないから、人民券の使える店で使い切らねばならないそうだ。後で分かったが、人民券は同じ額面の札でも、発行年によって、サイズ、デザインがいろいろあるようだ。日本なら、札を新しくすると、銀行などを通して、いつのまにか、古い札が処分され新札に統一されてしまうが、こちらでは、ポロポロ、ヨレヨレまで流通している。
 ジワジワと暑くなり始めた。中国では、天気予報で、気温を発表する時、36度以上は発表しないそうだ。体温以上になったら、仕事はしなくてもいいことになっているため、実際より低めに発表するか、発表中止としないと、働かないからという。
 北京郊外50Km、明の十三陵へ。バスを降りると、強烈な日差し、熱気。天気が良いのはいいが、これはたまらない。観光客相手の露店が多い。ジュース、お茶など。生水は絶対ダメというのも、今回の旅行の鉄則。
 十三陵は明の歴代13人の皇帝が山の麓に自分の墓を巨大な規模で造っている。
このうちの一つ、定帝の「定陵」だけが発掘済みで公開されている。
 暑い上に、今日は日曜日、中国人も観光に来ており、ものすごい人である。「中国の人はいつでも来られるんだから、遠慮して」とでもいいたいところ。地下27mにある地下宮殿は大理石の壁、玄室、棺、玉座のすばらしさに驚く。定陵博物館の金銀玉による宝飾品、美術品を見ると、皇帝の権力の大きさに舌を巻くばかり。
 ガイドブックにあった、象、馬、獅子、武将などの石像の立ち並ぶ参道をバス上から少ししか見られなかったのは残念。
 眺めの美しい湖畔に立つレストランで昼食。
 続いて、いよいよ、秦の始皇帝の「万里の長城」へ。
 東西約6000Kmという。月から見える唯一の人間の建造物といわれる。
 「八達嶺」は2つの復旧した長城の1つで、約8Kmで、「万里の長城」といえばここを指す。
 城壁の上を歩くが、入り口から左右へ延びており、右が「老人コース」、左が「青年コース」。一般的な「老人コース」を選ぶ。ここも、非常に人が多い。実質12億人という、世界の4分の1の人口はどこにもあふれているのだろう。水、絵はがきを売る人、写真屋など。幅6mの道は登る人、降りる人でときどき停滞するぐらい。
どこまで行ってもキリが無く、最も高いところで引き返すことにした。周囲は山々。
青年コース側を見ると、勾配のすごさが見えるが、光の関係で、景色は向こうの方がすばらしそう。もう少し時間が欲しかった。
 夕食は一流レストランで本格北京料理。中国服の美女が接待。メインデイツシュは北京ダッグ。バリバリに焼いた皮を味噌、ネギなどを薄餅につつんで食べると、実にうまい。



7月27日 北京から西安へ
 6時に起きて、ホテルの周囲を歩いてみる。トラック、乗合バス、朝の出勤の男女が自転車でバンパンぶっとばす。「ここでは、車優先」のガイドさんの説明が実感できる。
 ジョギンクする人も見られるが、有名な「大極拳」が主体見物。我々もいっしょに体験するのが礼儀か。
 今日も、朝から猛暑。蝉の声が大木の上から降り注ぐ。中国の蝉は中国語か?どこか鳴き声が違う。木陰に入ると、涼しい。
 朝食を終わり、今日もバスで出発。
 天安門を見学。中央に毛沢東の肖像画、テレビでおなじみの有名な建物である。
 門の前には、あの「天安門広場」。100万人が一度に集まれるという。歴史の舞台にいる実感を味合う。人民大会堂、革命博物館、歴史博物館、毛主席記念堂、人民英雄記念碑。
 とにかく、わいて来たような人の波。中国でもいま夏休みで家族連れの観光客でにぎわう。
 北京最後の昼食を済ませ、バスは空港へ向かう。
 ここで、ガイドの閣さんとはお別れ。次は西安へ。
 国内空港なので、ローカル風。木立の間を縫って飛行機が見える。
 乗り込みは徒歩で、タラップを登る。
 一応、ジェット機であるが、日本で30年ぐらい前に活躍していたような飛行機がこちらで現役でがんばっている。涙ぐましい。北京−西安はなんと、チャータ便という幸運。とりあえず、指定席に座っても、飛び立ったら、好きなところへ移動して窓外の景色を楽しむ。見渡すかぎり茶色の大地が地平線いっぱい続く。
 西安に到着。できたてのきれいな空港。荷物を待つ間、タバコを吸う人から罰金を集めにまわるおじさんを見た。
 ここでは、ガイドはスラリとした若い何(か)嬢。
 北京とはかなり違う田舎の道を走る。時々古墳が見えるが、殆どが未発掘。北京の十三陵もあと12陵は発掘してないように、中国では技術の関係でなかなか発掘は進まないとか。西安も90%が未発掘だそうだ。何世紀もかけて、ボチボチと埋蔵の宝物を掘りだすんだろう。これだから、時々、馬王堆などのすごい発掘ニュースで驚かされるのである。
 昔は長安と呼ばれたこの都、道が直角に交差する城壁に囲まれた、古い都である。
 日本の京都、奈良の古い都はすべてこの西安のミニチュア版。
 そして、この都から西へシルクロードがスタートしたことは有名である。
 まず、西の城門を見学。
 両側に高さ12mの城壁がまっすぐに続いているのは、圧巻。瓦と木材による門楼は美しい。ただ、かなり痛んでいる。めったに雨が降らないため、想像以上に長持ちするのか。西門楼の他に、東門楼、中央の鐘楼、南門櫻、北門楼、、敵楼、そして堀と城壁。日本の城郭のモデルになっただろう。全部見るのに10日はかかるだろう。この美しい城壁は本当に気に入った。
 次に、大雁塔へ。三蔵法師がインドから持ち帰った経典を収蔵している。
 7層、62m、土と瓦だけのためこの塔は、壁の厚さは1層め.10.5m、7層め4.5mという。ピサの斜塔のように少し傾いているといわれている。塔の上から眺める一直線のシルクロードは、まさに絶品。
 西安の市内をバスで通る。シシカパブやラーメンなどの屋台が続く。車はポロポロ、そして、やはり、自転車の洪水。
 今日は「西安賓舘」というホテル。
 西安の食事は、北京とはまた違う。
 ホテルのすぐ近くに小雁塔がある。
 10階から見ると、美しい夕日をバックに小雁塔が印象的。
 夜、佐野さん親子と4人で市内を散策。中国将棋をやっているグループや少女が乳児の子守をしているところは、昭和30年ごろに見られた風景か。しかし、ここでの変化は実にスローなんだろうと思える。
 すっかり暗くなったところで、1軒の屋台でラーメンを頼んだ。さあ、問題がお金。全く言葉が通じない。英語でいけるなんてのはとんでもない錯覚。結局、5元を払ったが、後で開くと、その十分の一ぐらいで良かったらしい。そういえば、ラーメンの後にもいろいろ持ってきてくれたが、押し売りと思って断ってしまった。



7月28日 西安第2日

 朝食はホテル内のバイキング。
 まず、玄宋皇帝と揚貴妃の温泉地、華清池へ。美しい池と建物。古い中国独特のソリの極端な屋根の建築。今も42度の温泉が出ている。1936年の西安事件で蒋介石が捕らえられた時の弾痕の割れたガラスがそのまま残っている。
 そして、「兵馬傭博物館」。秦始皇帝の地下軍団。1974年に井戸掘中に偶然発見されたもの。武士傭500体、戦車6台、馬24頭が発掘現場をドームでおおってそのまま公開している。そらにまだ6000休も埋まっているという。項羽の軍に破壊され、表面の彩色は火で焼けてしまい、文字通りの素焼きになってしまったが、この庄巻はとても言葉であらわせない。
 昼食は点心料理。
 本格的なギョウザ料理。専門店に入ると、ものすごいにおいにまいるが、そのうち、自分も食べるんだから、全く感じなくなる。店内の騒々しさには驚く。中国人のグループのテーブルでは、大きな声でしゃべりながら食べている。この食事だけビデオカメラをバス内に置いてきたため、記録が残せず、非常に残念。
 さて、前菜の後、出てくる、出てくる、テーブルの上に10個ほどのせいろ入りギョウザが、うさぎ、ちょうちょ、あひる、くるみ、かざぐるまなどに形を変えて次々と登場。全部味が違う。最初はおいしいので、2つずつ食べていたが、25回ぐらい出てきたか。最後の水ギョウザが出たころには、完全にダウン。しかし本当にうまかった。
 興慶公園。玄宋皇帝と揚貴妃の興慶宮跡であるが、もうひとつ、日本から遣唐使として入り、結局73才の生涯を長安で閉じた、阿部仲麻呂の「天の原・・・」の望郷の歌、記念碑などがある。大平、福田、竹下の歴代の日本の首相の訪問歴。ここでも、物乞いの姿を見、道を歩いていて、物売りのしつこさには参った。木製のカモの置物が「5個1000円」から始まり、断っていると、7個、10個となり、最後は「25個1000円」になった。文字通り、「カモ」にされる日本人観光客である。
 西安碑林博物館。石碑上に、みごとな書が彫りこんである。書の好きな人にはたまらない場所だ。関羽が曹繰に責められ書いたという判じ文字がおもしろい。拓本の販売が多い。
 ホテルへの帰りに、道の途中で、秦始皇帝陵をバックに記念撮影。今回は、万里の長城を始め、兵馬傭と、秦始皇帝の跡を訪ねているようなもの。起源前200年以上も前に、天下を統一したという秦始皇帝とはどんな人だったのか。この秦始皇帝陵も項羽に破壊されたものの、まだ未発掘があり、何が出るか分からないという。盗掘者防止の機械しかけの矢など、いろいろなしかけがあったという。
 ここも含め、西安には、博物館、寺、陵など見るところが多く、もう一度ぜひ来て見たいところだ。近く、名古屋一西安の直行便がオープンするという。
 ホテルに帰った後、汗ダクダクの服を着替え、ホテル前の劇場でのディナーショーを観る。食事はエビのフライや牛肉のソテイなど。いくつかの中国音楽の演奏、歌唱の後、本格的なショーは20時半から始まった。美しい衣装をつけた、1時間半の歌舞団のショーに酔った夜だった。



7月29日 西安から上海へ

 朝4時のモーニングコール、フロントに4時半集合、5時出発という強行のホテル発。
 まだ外は暗い。一路、西安空港へ。ガイドの何嬢と別れ、上海行き6時45分の飛行機に乗る。機内でホテルにもらった弁当をひろげるが、粗末なもので、食べるのに苦労する。
 上海には朝9時に到着。中国最大の都市である。
 今日も猛暑。
 ここでのガイドは施(し)さん。まず、ポロポロのアパートを流用したような、日本人客専用?の土産屋へ。ここでファッションショーを観[せられ]る。しかし、美人だったから、許す。この後、買い物[をさせられた】。そういえば、全行程で観光の合間合間にバスは、土産物屋に止まる。日本人の土産好きを心得ている訳で、安全で、ディスカウントができる国営の店という。こちらも、土産買いは好きだから文句は無いが。掛け軸、薬、シルクやカシミヤの衣料品、瑠璃や翡翠の宝石製品、石印、細かい手工芸品など。ありあまる人手を利用した原料加工の工芸品などが多い。逆に機械加工の製品は高価で、一般の人の手に入らない。自動車などの輸入品は300%の関税がかかっているそうで、トヨタのクラウンは700万円を越えるとか。
 玉仏寺で、りっぱな伽藍と、非常に美しい玉で造った仏像を観る。こんな美しい仏様を観るのは久しぶりだ。
 上海はそれほど大きくない。しかし人口は1200万人。西安、北京などに比べ、歴史は浅く、何もないところから100年間で中国最大の商工業都市になった。イギリス、アメリカ、フランス、そして日本に侵攻され、ズタズタに、また、アヘン戦争など。
 魯迅の墓がある蛇口公園を見学した後、最後のホテルは「上海賓舘」へ。
 夕食までの時間にホテルの近くを散策した。西安に比べ、なんとなくこわい。
 道の向こうへ渡るにも命がけ。信号があるのに、横断歩道を渡らない。
 スッポンやカエルを売っている店があった。中国内ではどこでも、西瓜売りを見かけた。大きな青竜刀のような包丁で切り売りするところはダイナミック。
 旅行中のすべての食事のデザートは西瓜(あまり甘くない)。そして、猛暑の中、飲物はビール、コカコーラ、スプライト、ジュース、ミネラルウォーターなどをがぶ飲み。
 夕食のファイナルパーティーは上海の街が見渡せる景色のよいレストランの19階。
 団長、旅行社の鳥居さん、全コースガイドの劉さんの挨拶の後、上海料理のフルコースとなった。可愛い中国娘のホステスが料理を運ぶ。
 ホテルへの帰りのバスは最も賑やかな南京通りを通る。中国で初めてネオン街を見た。ものすごい人に亜然とする。毎日この通りは200万人が集まるという。毎日が祇園祭の宵宮のようだ。12億人を越え、世界の四分の一の人口の現中国では、1家族に子供は1人と決められており、違反すると、ものすごい額の罰金とか。(この金額は中国の人の暮らしでは絶対に支払い不可能)。一人っ子の問題(甘やかせ子育てなど)は大丈夫なのだろうか。しかし、この政策は、確実に、人口増加のストップ、次第に、減少へと向かうだろう。
 ホテルへ帰って最後のショッピング。シルクの衣料品や、中国切り絵を買う。シルクは確かに安い。日本の3分の1か。ネクタイ、つやのやるシャツ、下着は美しい。
 明日は帰国。土産など荷造りが大変。



7月30日 最後の中国 帰国ヘ

 ホテル内で朝食、すっかり中国料理に慣れたのか、後へいくほど食べられた。しかし、やはり、日本料理が恋しい。昨日、ガイドさんは、「明日の夜は、間違いなく純粋の日本料理ですよ」だって。
 ホテルを出発。
 西洋式のモダンな建物の続く中、バスの窓から路地には確かに、中国の貧しさが見られる。家が悪くなっても費用が無く、修理しないのだ。カメラはどうしても、そういうところへ向いてしまう。ポロポロの古い家は珍しく、貧しい子供たちとポロ家を被写体にするのは、我々の傲慢か。
 本格的庭園「豫園」へ。東京の浅草にあたるという古い本格的庭園。九曲橋の水が無いのは残念。今回の中国の観光地のあらゆるところで修理工事を見た。中国は今、本格的に観光客誘致運動で、積極的な姿勢が見られる。
 池、廊閣、龍の彫刻の仕切塀、値打ち物の調度品など。
 近くの豫園商場は上海紹介の写真にはよく見られるアパートと店のミスマッチが絶好のカメラアングルとなる場所。名産品、特産品の店が非常に多い。
 上海空港近くのレストランで中国最後の食事の後、妥換券を円に戻し、13時45分発JAL大阪行きに乗る。
 上海一大阪はわずか1時間のフライト。
 時計を1時間遅らせて、大阪到着が17時半ごろ。
 税関を通りやっと大阪−日本へ。町の世話人さんに迎えられ、バスに乗る。清潔、きれいな建物、広告看板、どの車もピカピカの新車。自転車がめったに見られないなど、中国との大きな違い。



旅行を終わって

 5泊6日の旅で、多くのエピソードもあった。
 北京郊外の見渡す限りのトウモロコシ畑でバスを止め、立ち小便し七人や、掛け軸などのお土産コレクター、中国の人との手話筆話、変わったお土産、桃を買って固かったこと、いたわりあうほほえましい老夫婦、そしてあの猛暑(40度の日もあったと思うが、大陸性気候はそれほどでもない)・‥。同じ町内グループならではの楽しさもあった。
 3000年の歴史、貧しさ(向こうの人はそう思っていない。日本にたまたま生まれたのを幸せと思うべき)、自転車の洪水などの印象。西安は、ガイドブックを見ると、まだ何倍も興味深いところがあり、西安だけで数日は必要のようだ。もう一度行きたい。
そして、蘇州、桂林などにもぜひ。中国は同じ東洋人として、西洋の旅行とは人味違う体験がある。
 600枚におよぶ写真、7時間ものビデオフィルムを前にして、おもしろかった中国旅行を思い出しながら、紀行文を終了する。

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