「とんがり帽子」に母を想う 2020/10/21



 スカーレットのあとの朝ドラは作曲家古関裕而(明治42年〜平成元年)の生涯を描いた「エール」



戦前、戦中、戦後の5000曲ものメロディーを生み出した作曲の天才



 「エール」は新型コロナウィルスのため収録が中断、やっと再開したが、放送期間を延ばすわけにいかず、10話も短縮するという残念な事態になり、現在終盤に差し掛かり、やたらと進みが早いところがある。



 古関裕二は戦前の歌謡曲でヒットを飛ばし、戦争に入ると多くの戦意高揚の曲を作曲、若者を戦争に駆り立てることになった。ビルマのインパール作戦で恩師の死に立ち会い失意の帰国(実際には古関は戦場に行っていないようだが)、終戦後自分の曲が多くの若者を死地へ駆り立てたことに気付き作曲が出来なくなる。


 菊田一男のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が終戦からの希望を予感し、古関の作曲再開のきっかけとなり、その主題歌「とんがり帽子」は昭和22年に作曲された。


 そう、この歌だ。戦時下たった一人で3人の子どもを育ててくれた母。一番下の私は1歳、母の背中で聞いていたはずの母の鼻歌。家事をしながらその後も数年、 口ずさむ母の唯一のこの声が私の頭に残っている。



 この旋律は今の人にも心に残る名曲でいつかあの世で母に会ったら、この話が話題に出来ると思う。



とんがり帽子




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