新春京都ウォーク 2013/01/23

新島旧邸




NHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン・・・


新島八重が夫、新島襄と過ごした新島旧邸。


まさに話題の公開中。


綾瀬はるかちゃんの主演で被災した東北を応援。


予約していた。


こちら、新島会館。


同志社の創立者、新島襄と妻・八重の私邸。1878年に竣工した木造2階建ての和風建築に洋風の手法を取り込んだ造りの建物。1985年、京都市指定有形文化財に指定され、1992年の全面解体保存修理工事終了以後は一般に公開されている。




新島会館で特別展。


ドラマのおかげで観客が突然増えた。


同志社大学関係者以外にはあまり知られていなかった。




ドラマは3話めに入っている。




現代の家と比べたら小さいが。


パンフレットをいただく。









ネットで見てください。


NHKのテレビ、「歴史秘話ヒストリア」で八重の一生が放送された。


明治のハイカラおばさん。




アメリカ人宣教師の助言を受けながら、日本の大工の手によって、一八七八(明治11)年九月に完成した。寄せ棟屋根の木造二階建て。一階が食堂や応接間など約二百十平方メートル、二階が寝室など約百四十平方メートルで、全体に質素な造りとなっている。




こんなきゃらにして欲しくない。






今が旬や。


当時では理解されなかった女の生き方に世に悪妻と呼ばれたことも。








同志社人物誌より
 時代に対する感受性を一つの尺度すれば、人間の生きざまは、二つに大別されるだろう。
 茫然自失の危機に直面したとき、前向きに〈現在−将来〉に新しい人生を切り拓いてゆこうとするか、それとも過去に閉じこもることで自分を守ろうとするか、つまりポジティブかネガティプかである。
 ポジティプに生きた人物の時代に対する感受性は、なみはずれて豊かである。〈前時代〉と〈現在−将来〉のはげしいせめぎあいのなかで生きなければならない孤独さに堪えるだけの骨太さを内に秘めている。
 新島八重の生涯はおよそ三時代に分けて考えることができる。会津若松に生まれ育ち、戊辰戦争で洋式銃を執って戦いぬいた娘時代、のちに兄の覚馬を頼って京都に出て新島襄と結婚、洋装のクリスチャン・レディとして生きた時代。そして襄の死後、篤志看護婦として日清・日露戦争時に救護活動に駈けつけた晩年である。
 時代ごとに異なる貌を持つ女性として、立ち現われてくるのは、時代をポジティブに生きたゆえだろう。




波乱の一生。


のーんびりの一生。












これから新島旧邸を見学。




靴は脱いで袋に。
























玄関右の18畳ほどの洋間 当時の椅子やテーブルがそのまま。






寂中庵」襄の没後、茶道家となった妻の八重が和室に改め、茶室とした。






新島先生が使った机がそのまま残っている。 書棚の8割が洋書だとか。




2階へは上がれなかった。ご夫婦のベッドルームがある。








西洋式トイレ。板張りの洋式トイレとして日本初。


綾瀬はるかちゃんも・・・、違う違う。


お風呂です。




板張りの床の上に流し台、かまどを設けてあり、井戸も室内にある。














ワッフルを作る。


入場料は無いが・・・


任意で300円ほどお願い。




こちらが正面。







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