同志社の創立者、新島襄と妻・八重の私邸。1878年に竣工した木造2階建ての和風建築に洋風の手法を取り込んだ造りの建物。1985年、京都市指定有形文化財に指定され、1992年の全面解体保存修理工事終了以後は一般に公開されている。 |
アメリカ人宣教師の助言を受けながら、日本の大工の手によって、一八七八(明治11)年九月に完成した。寄せ棟屋根の木造二階建て。一階が食堂や応接間など約二百十平方メートル、二階が寝室など約百四十平方メートルで、全体に質素な造りとなっている。 |
同志社人物誌より 時代に対する感受性を一つの尺度すれば、人間の生きざまは、二つに大別されるだろう。 茫然自失の危機に直面したとき、前向きに〈現在−将来〉に新しい人生を切り拓いてゆこうとするか、それとも過去に閉じこもることで自分を守ろうとするか、つまりポジティブかネガティプかである。 ポジティプに生きた人物の時代に対する感受性は、なみはずれて豊かである。〈前時代〉と〈現在−将来〉のはげしいせめぎあいのなかで生きなければならない孤独さに堪えるだけの骨太さを内に秘めている。 新島八重の生涯はおよそ三時代に分けて考えることができる。会津若松に生まれ育ち、戊辰戦争で洋式銃を執って戦いぬいた娘時代、のちに兄の覚馬を頼って京都に出て新島襄と結婚、洋装のクリスチャン・レディとして生きた時代。そして襄の死後、篤志看護婦として日清・日露戦争時に救護活動に駈けつけた晩年である。 時代ごとに異なる貌を持つ女性として、立ち現われてくるのは、時代をポジティブに生きたゆえだろう。 |