マグニチュード9.0、そして想像を絶する大津波が襲った東北関東大震災から5日経った。 |
現役時代、放射能関連のシステム開発で東海村、青森六ヶ所村をはじめ、日本中の放射能管理区域を飛び回っていた。ポケット線量計を身につけビクビクの毎日だった。核融合施設、原子力発電所など、最先端の日本の技術を直に見ることも感激だった。当時、中国北京で原子炉を真上から見せてくれたのにも驚きを隠せなかったぐらい。 今、テレビで、「シーベルト」という一般にはめったに聞くことのない放射線量の単位を聞くと、当時が思い出され、1999年に発生した東海村JCO事故がまざまざと頭をよぎる。現場に1週間前に自分がいたことで、幸運に感謝した。 原子炉は核攻撃にも耐えられる構造のはずで、人類が創る最も強固な建造物のはず。自然の猛威でこんなに簡単にやられて火災を起こし、今、放射能の危機を受けているのは人類にも限界があるというのだろう。 「放射線を浴びるぐらいなら、手足が何本か無くなった方がまだマシ」と業界関係者のひとりごと。ひとたび体内に入ると永久に放射線を被曝し続けるという恐ろしさ。 なんとか、収束して欲しい。必要悪といわれる原子力発電は今後どうなるのか。 |